旦過市場は、今や北九州観光の拠点でもあります。2012年8月現在、旦過市場には約120の店舗があります。韓国や中国からの観光客も多く、映画の撮影に使われることもあります。*1

昭和の薫り漂う商店街。

奥まった場所にあるホルモンの店。

野菜市場の一画。

【参考文献】
*1 毎日新聞西部本社報道部:北九州市50年の物語(石風社,2013)P.138-P.141
旦過市場は、今や北九州観光の拠点でもあります。2012年8月現在、旦過市場には約120の店舗があります。韓国や中国からの観光客も多く、映画の撮影に使われることもあります。*1
昭和の薫り漂う商店街。
奥まった場所にあるホルモンの店。
野菜市場の一画。
【参考文献】
*1 毎日新聞西部本社報道部:北九州市50年の物語(石風社,2013)P.138-P.141
北九州の台所と呼ばれる旦過(たんが)市場は、大正時代に商いが始まったといわれています。戦中は中断しましたが、戦後は庶民を相手に生鮮食品を売る市場として再開。1962年にアーケードが完成し、今の形ができました。*1
旦過市場はモノレールと神嶽(かんたけ)川に囲まれた場所にあります。
旦過市場の店舗は、神嶽川にせり出して建っています。
南側の入口。
【参考文献】
*1 毎日新聞西部本社報道部:北九州市50年の物語(石風社,2013)P.138-P.141
今回は、小倉(福岡県北九州市)の町並みと風俗を散歩します。
小倉駅前に入口のある大丸ビル名店街は、古くからの飲食店などが軒を連ねる小路です。
レンタールルーム「キーロック」。入口の看板を見る限り、ビデオボックスです。看板には、「ビデオテープがベッド付きの個室で見れます。」と書かれており、宿泊もできるようです。
昭和54年の開店以来、35年にわたり殿方の憩いの場所として営業してきましたが、2014年1月閉店しました(貼り紙より)。
2階には、キャバレーがあったようです。
レトロな雰囲気の入口の階段。
西川口駅の南東側は、ラブホテルが密集するエリアですが、その中に混じって和風の旅館だった建物が残っています。
現在は営業していないようですが、かつての風情は残されたままです。
旅館「あしび」。
旅館としての営業は継続しているようです。
西川口東口駅前。整備された駅前ロータリーの脇に古くからの商店が並ぶ一画があります。
建物の裏側。
小さな空地になっています。
商店の1軒1軒がトタンの建物であることが解ります。
今回は、西川口(埼玉県川口市)の町並みと風俗散歩します。
JR京浜東北線の西川口を発車した直後の車窓からは、線路沿いに建ち並ぶラブホテルを目にすることができます。
都内には、日暮里や巣鴨など、線路沿いにラブホテルが立地する場所がありますが、西川口もこの例にならっているようです。
京浜東北線と東北本線が並走する長い直線コースは、鉄道ファンにとっても恰好の撮影ポイントです。
ラブホテルの前の電車が走り抜けます。
川口西公園の北側にある仲一商店街。緩やかにカーブえ描く商店街の先に、銭湯の喜楽湯の建物が見えてきます。
入口付近は綺麗にリニューアルされています。
油田型の煙突。
近くには、仲一商店街のレトロな看板がありますが、現在は商店街と言えるような賑わいはありません。
川口西公園は、川口駅西口前にある大規模公園です。
ここには、銅像が多数設置されています。
公園の北側に設置されている「家族」というタイトルの作品。中央に子供像、後方に両親の像。股間の形状の違いから、右側が母親、左側が父親の像であることが解ります。
後ろ側から。
子供像。
昭和15年の資料*1*2 によると、川口の乙種料理店(新地)は、幸町2丁目にありました。
現在は、商店街となっています。
乙種料理店の鶴亀があった場所。*2
同じく、乙種料理店の大坂屋があった場所*2 は、現在はスーパーになっています。
新地組合事務所があった場所*2 は、現在は公園になっています。
【参考文献】
*1 川口商工會議所:川口商工人名録 昭和15年版 (川口商工會議所,1940)P.135-P.137
*2 都市地図社:川口市住宅地図 幸町二丁目11.B(都市地図社,1940)
川口市本町の「川口宿の碑」がある交差点から西へ行ったところに、レトロなコンクリートの電柱があります。
細い路地と広い道路が交差する場所に、奇跡的に残っています。
電柱の側面。
現在は、街路灯として活躍しています。