割烹旅館のある満島の通り。*1

当時の面影を残す建物です。

唐津城が間近に見えます。

唐津城から見た満島。写真、右下は舞鶴橋。左奥は、虹の松原。

【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.324-P.331
割烹旅館のある満島の通り。*1
当時の面影を残す建物です。
唐津城が間近に見えます。
唐津城から見た満島。写真、右下は舞鶴橋。左奥は、虹の松原。
【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.324-P.331
木綿町の歓楽街の中心部に、古い旅館の建物が残っています。
今にも崩れかけそうに見える建物です。
地元の方の話によると、昭和の初め頃、この付近一帯には、女郎屋もあったそうです。
重厚な3階建ての造り。世界遺産級です。
【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.324-P.331
今回は、唐津(佐賀県唐津市)の町並みと風俗を散歩します。
唐津駅前の木綿町(きわたまち)は、唐津を代表する繁華街です。*1
特に、東西に走るこちらの通りには、居酒屋やスナックの店舗が密集しています。
レトロなスナック店が建ち並びます。
大きなイラストが書かれたスナック店。
【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.324-P.331
雑餉隈の寿町3丁目から2丁目にかけては、多くのスナックが点在するエリアです。
三叉路に面したスナック。
長屋風の建物。
風俗店も入居する飲食ビル。
今回は、雑餉隈(福岡県博多区)の町並みと風俗を散歩します。
西鉄天神大牟田線の雑餉隈駅前の商店街。昭和のかおりが残ります。
青果店を中心とした商店が数多く建ち並びます。
まるで、市場のような雰囲気です。
活気のある青果店。
本庄市東台2丁目。居酒屋などの飲食店が数店舗あります。
この先の交差点を右折した一画は、かつて「新開地」と呼ばれた場所でした。
昭和3年秋、本庄町の貸座敷は、台町の新開地に移転しました。戦後は、アメリカ軍の本庄進駐に伴い、「慰安所」が設けられました。*1
新開地は、懸賞募集した「飯玉新地」と名付けられました。*1
【参考文献】
*1 本庄市史 P.176-P.187
銀座2丁目の通称「稲荷横丁」。
四つ角のところに、レストラン「はじめや」があります。
2階部分は洋風です。
入口横は、たばこやさんのようです。
銀座1丁目の美容室へ続く路地。犬の糞お断りの張り紙があります。
銀座二丁目の民家。こちらには、立小便禁止の張り紙が多数貼られています。
手作り感のある看板。
大きな鳥居。
隣には、「元気グングン! ジンセンアップ」のホーロー看板。 脱線トリオのメンバーであった故南利明さんの笑顔が印象的です。オリエンタルカレーのCMでの名古屋弁のフレーズ「ハヤシもあるでョ~」は有名でした。
本庄市中央一丁目の通り。
レトロな理容室があります。
木造の建物が印象的な理容室。
なぜか、看板が逆さまに取り付けられています。現在は、向かい側の店舗が営業中です。
歌謡スナック「姫」の反対側には、「ミッキー」と書かれた看板のある小路があります。
幅の狭い路地に、大きな看板。
カラオケスナックのようです。
反対側からの遠望。