飛田(太子地蔵尊跡地)2010年3月に撤去。「太子」という町名の起源。

西成区萩之茶屋の地下鉄堺筋線の動物園前駅近く。

ビルの谷間に、小さな空地があります。

ここには、「太子地蔵尊」と、「飛田墓地無縁塔」がありましたが、2010年3月に撤去されてしまいまいた。江戸時代の元和年間(1615年~24年)、飛田に墓地が移され、刑場も置かれました。「太子地蔵尊」はもともと墓地内にあったお地蔵さんで、「太子」という町名の起源にもなりました。*1

長い間、地元で地蔵の世話をしてこられた方が亡くなった後、地権者が地蔵と石碑を排除して更地にしてしまい、どこかに移築したのか廃棄したのか、まったく不明です。悔やまれて仕方がありません。*1

【参考文献】
*1 趙博:パギやんの大阪案内ぐるっと一周〈環状線〉の旅(高文研,2012)P.146-P.147

参考文献

参考記事

飛田(簡易旅館)ビジネスホテルも混在。飛田本通商店街の西側。

飛田本通商店街の西側に 簡易旅館が密集している一画があります。

旅館街のメインストリート。

中心部にある大きな旅館。

最近は、安いビジネスホテルも混在しています。

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飛田(旅館「明楽」)温泉マーク。豪華な家具、明るい洋室。気楽できれいな日本間。

大坂環状線と阪神高速が交差するあたり。 てんのじ村記念碑(上方演芸発祥の地)の近くに古い旅館の建物があります。

建物脇の路地を入った奥まった所が旅館の入口です。

豪華な家具、明るい洋室。気楽できれいな日本間。

温泉マーク。

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飛田(和光浴場)多数の張り紙。朝から営業しています。

飛田新地の北側、山王の住宅街。

銭湯の和幸浴場があります。

露天風呂の他、たくさんの種類の風呂があって、のんびりできます。
浴場の中には、次にように書かれた貼り紙が多数貼られています。
「他人の体に触れたり必要以上に近くに座ったり、何度も異常に接近したり、目にして不快な行為をしたり、このような行為をした方は今後入浴をお断りし、警察に通報致します。」

銭湯は、朝から営業しています。

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飛田(オーエス劇場)大衆演劇。入場料は、1300円とリーズナブルです。

飛田本通商店街を通天閣を世にした入り、少し行くと左手(東側)の路地に「オーエス劇場」の看板が見えます。

小沢昭一さんの「私は河原乞食・考」*1 に、かつての「トビタOSヌード劇場」のことが書かれていますが、現在の大衆演劇「オーエス劇場」の前身だと思われます。

入場料は、1300円とリーズナブルです。

「オーエス劇場」の道を挟んだ反対側の建物も風情があります。

【参考文献】
*1 小沢昭一:私は河原乞食・考(岩波書店,2005)P.63

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飛田(飛田新地料理組合)町への強い想い。飛田会館。

今回は、飛田(大阪市西成区)の町並みと風俗を散歩します。
山王地区の商店街から、「飛田新地料理組合」と記された大きな看板が見えます。この先は、飛田新地の店がずらっと並ぶ一画です。

飛田新地料理組合。

組合執行部はボランティアで、どれだけ町への想いが強いかが参加基準です。*1

商店街の側には、「飛田会館」と書かれた門があります。

【参考文献】
*1 週刊文春 2011. 7.28

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新世界(ビデオ旅館)ビデオを見ながら泊まれる旅館。

新世界の繁華街に「ビデオ旅館」があります。

近くには、ビデオ試写室。

ビジネスホテルもあります。

ビデオを見ながら泊まれる旅館のようです。

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新世界(成人映画館)カップルシート。階段にはポスター。

新世界の歓楽街の中心部にある成人映画館があります。

カップルシートがある映画館です。

階段にはポスターが貼られています。

映画館の入口付近。

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新世界(旅館街)風情のある路地。通天閣の南西側。

通天閣の南西側。

数軒の旅館が密集するエリアがあります。

レトロな雰囲気のホテルの看板。

ホテル街の路地は風情があります。

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新世界(通天閣の北側)放射状の街路。パリをモデルとした洋風の街区。

今回は、新世界(大阪市浪速区)の町並みを風俗を散歩します。
新世界は、明治時代、第5回内国勧業博覧会の跡地に計画された街区ですが、現在もその当時の道路の形が残っています。
新世界の北半分は、パリをモデルとした洋風の街区で、通天閣に通じる放射状の3つの道路があります。
3つの道路は、東から「合邦(かっぽう)通り」、「玉水通り」、「恵美須通り」と呼ばれ、各街路は、それぞれにテーマ性をもったショッピングモールでした。街路に面した1階部分をすべて洋風の店舗とし店舗様式は、近世ドイツ式に統一されていました。*1

東の「合邦通り」。現在は静かな住宅街になっています。

西の「恵美須通り」。現在は、商店街となっていて、地下鉄堺筋線恵美須駅の入口があります。

中央の「玉水通り(現春日通り)」には、かつてはお茶屋が建ち並んで、ぼんぼりが揺れ、奈良の春日大社の万灯籠のようだといわれ、春日通りと命名されました。*2

【参考文献】
*1 橋爪紳也:大阪モダン(NTT出版,1996)P.80
*2 通天閣観光株式会社:通天閣50年の歩み(通天閣観光,2007)P.8-P.9

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