門司区栄町にある大衆中華料理店「朋友」の建物。

郷愁を感じさせる1階部分の看板。

1つの木造母屋に複数の店舗が入居していたようです。

いろいろな看板が取り付けれられていて、当時の賑やかさが伝わってくるようです。

門司区栄町にある大衆中華料理店「朋友」の建物。

郷愁を感じさせる1階部分の看板。

1つの木造母屋に複数の店舗が入居していたようです。

いろいろな看板が取り付けれられていて、当時の賑やかさが伝わってくるようです。

住宅街の中にスナック、銭湯などが点在する旧カフェー街。

理容室「良美軒」の建物。

玄関部分は緑色のタイルで装飾されています。

木製の窓枠がいい感じです。

あずま通りの中ほどに、銭湯の日の出浴場があります。

こじんまりとした暖簾が郷愁を誘います。

玄関部分には、宝船のタイル絵があります。

裏側から見た銭湯の建物の全景。

旧カフェー街の路地裏に青いタイルが残っています。*1

建物の側面のかなり広い面積が全体が鮮やかなタイルで覆われています。

庇部分の下側は色の異なるタイルが使用されています。

こちらの部分は、薄い黄色のタイルです。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,2007)P.73
旧カフェー街のメインの通りだったあずま通りの入口。ここには、数年前まで飲み屋街の入口を示すアーチがありました。*1

現在アーチは、撤去されていますが、電柱のすぐ後ろにアーチのものと思われる支柱の跡が残っています。

現在は、住宅街となっていますが、1軒だけ歓楽街の痕跡と思われるスナックがあります。看板には、「AMERICAMS WELCOME」と書かれています。

カフェー街の東端。もう一つのアーチがあったと思われる場所から。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,2007)P.73
今回は、安浦(神奈川県横須賀市安浦町)の町並みと風俗を散歩します。

安浦神社を取り囲む玉垣。この玉垣に、かつての安浦のカフェーの屋号が刻まれています。

「甲子」、「日吉家」、「花の家」、「八千草」は、いずれも「特殊風俗業態(安浦カフェー街)分布図」*1 で確認できる屋号です。

「水明」はカフェー街の中ほどの海寄りの場所に、「蝶々」は北西端にありました。*1

【参考文献】
*1 横須賀警察署史発行委員会:横須賀警察署史(横須賀警察署,1977)P.121-P.150
「特殊風俗業態(安浦カフェー街)分布図」(P.123)をみると、北西側から南東側に向かって、蝶々、朝日、信濃家、久喜、みさき、みそら、田丸家、立花家、初音、浦島、岡本、浜の家、紅葉、みどり、吉野家、水明、甲子、羽衣、小島家、竹吉、千久代、川栄、松竹、花の家、菊の家、岡島家、春の家、八千草、笹本、富久実、清月、新駒、日吉家、双葉、武本、利久、三松、一松、みその、川柳、高砂、三浦家、花月、などの屋号が確認できます。
日本橋花街の南側のエリア(現在の二葉町2丁目付近)にも料亭や置屋が密集していました。1957年の住宅地図を見ると、レストラン「モリヤ」は当時からこの場所で営業しており、その隣には、日本橋三業組合兼日本橋芸妓学校がありました。さらにその隣には、料亭「鈴本」があって、現在は屋号を受け継いだ鈴本ビル(写真右奥の工事中の建物)が建っています。*1

「日本橋三業組合」と思われる建物。

周囲は、マンションなどに建て替わっていますが、1軒だけ当時のままで残っています。

当時の様子が偲ばれます。

【参考文献】
*1 経済地図社:南区明細地図(経済地図社,1957)P.24
今回は、吉野町(神奈川県横浜市南区)の町並みと風俗を散歩します。
現在の吉野町二丁目交差点に、花街だった頃の遺構と言える「日本橋」と書かれた花街の入口を示すアーチがありました(現在は、撤去されています)。*1
日本橋花街は、大正初年頃から市内各所に増えだした横浜の花街の一つでした。*2

「赤線跡を歩く」*1 に写真が掲載されていた旅館「明美」の建物はなくなり、現在は駐車場になっています。

料亭「みどり」があった付近。*3

「料理店」のプレート。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.71
*2 横浜市:横浜市史稿(臨川書店,1985)P.545
*3 経済地図社:南区明細地図(経済地図社,1957)P.22-P.24
神楽坂の東隣。軽子坂(かるこざか)の坂の下にあるギンレイ劇場。

ギンレイ劇場の建物の西側は成人映画館の「くらら劇場」になっています。

入口へは、階段で地下1階に降ります。

近日上映のご案内。
