思案橋から水路沿いの道を行くと、和風旅館やモダンなデザインの建物が混在する一画に出ます。ここが旧玉水新地です。

新地の東側にモルタルの旅館が建ち並ぶ一画があります。

旅館「若水」の昼間の様子。

夜も営業中です。

思案橋から水路沿いの道を行くと、和風旅館やモダンなデザインの建物が混在する一画に出ます。ここが旧玉水新地です。
新地の東側にモルタルの旅館が建ち並ぶ一画があります。
旅館「若水」の昼間の様子。
夜も営業中です。
高知市内には、旧町名の由来を説明する案内板があちこちにあります。
旧本町筋の西端を南に折れたところに、思案橋番所がありました。
実際にその場所に行ってみると、思案橋と書かれた小さな橋があります。橋の桁間は、わずか1m程です。
思案橋の名前の由来は、この橋から先は、いくつかの道が分岐していたので、どの道を通るか「思案」したのだとか、この橋の先にはる玉水新地に行くかどうか迷うので、「思案橋」になったのだとか、いろいろな説があります。*1
大正15年につくられた橋です。
【参考文献】
*1 高知遺産プロジェクト:高知遺産(グラフィティ,2005)P.88-P.89
今回は、高知(高知県高知市)の町並みと風俗を散歩します。
山内一豊が築いた高知城は、現在は高知県庁がある町の中心部です。旧本町筋は、城下町がつくられたとき、最初にできた基本となる道路です。現在も市電が走る高知市の中心市街地です。
交差点に、白ポストがあります。
白ポストは、駅前に設置されているケースが多いのですが、高知の白ポストは、県庁前の交差点に設置されています。
上部の帽子のような形状とコンクリートの台座。郵便ポストにそっくりです。
宇和島市築地町の北側(住吉町2丁目)にあるホテルコーラル宇和島。
駐車場の隅に石碑があります。
「築地建設記念」と彫られています。
石碑には、「昭和四年宇和島市港湾改修ノ進捗ニ伴ヒ須賀川附替ノ議決スルヤ河身北陽ヲ貫クヲ以テ市長山村豊次郎深ク之ヲ憂ヒ関係業者ヲ融通シテ花街移転ノ計画を樹ツ...(後略)」と移転の経緯が説明されていて、この碑が、築地花街が建設されたことを記念して建てられたことがわかります。
須賀川は、降雨の際の大量の土砂が港の機能を失わせることから、幕藩時代から伊達家により附替が計画されていましたが、昭和の時代になりようやく実現されることとなりました。そのとき問題となったのが須賀川の付替えによりその場を失うことになる北陽花街の移転問題でした。移転先の築地が未開の地であることから、反対意見があり、結局、築地に移転する業者と北陽に残る業者に分かれることとなりました。*1
昭和6年の古地図*2 を見ると、建設中の須賀川と北陽、築地の両花街が記されています。
【参考文献】
*1 宇和島市誌編さん委員会:宇和島市誌(宇和島市,1974)P.200-P.217
*2 宇和島市街地図(1931)
北新町から須賀川沿いを歩いていくと、凹凸神堂があります。
凹凸神堂は、世界最高の性文化財資料館です。*1
お前とわたしは石臼夫婦。重ねて廻して子をつくる。
石臼を散りばめた庭園があります。
中央の大きな石臼の上には、男性のシンボルが...。
【参考URL】
*1 多賀神社、凹凸神堂ホームページ
北新町にある料理屋「月ヶ瀬」の隣にある民家。
花街の時代を想わせます。
2階部分に手摺りがある家です。
玄関付近。
大正時代初頭、宇和島の商工業は著しく発達し、それに伴い須賀川の川端に花街が形成されました。川端花街の芸妓は、しだいに娼妓化したため、散在していた料理屋や置屋を須賀川左岸の藤江に集めて、川端遊廓(北陽花街)が作られました。*1
北陽花街は、「北新地」とも呼ばれました。同じ頃、元結掛には、「南新地」という花街がありました。*2*3
「北新地」の名残でしょうか。北陽花街があったと思われる場所は、旧町名では、北新町と呼ばれていました。
旧町名「北新町」の範囲。
かつては、藤江と呼ばれていた地域の一部でした。
【参考文献】
*1 栗本露村,浅井伯源:宇和島案内(宇和島案内発行所,1933) P.50-P.54
*2 河野一水,松本麟一:写真集明治大正昭和宇和島(国書刊行会,1983)p.106
*3 矢野和泉:目で見る宇和島・北宇和・南宇和の100年(郷土出版社,2003)p.46
道後温泉の風俗街の中心部に風俗店が多数入居するビルがあります。広場から見える威容は圧倒的です。建物の外観はマンションですが、風俗店の看板が乱立しています。
風俗雑誌などで、風俗店が多く入居している雑居ビルを「ヘルスビル」と呼称している場合がありますが、このビルの場合は、ビル名そのものが「ヘルスビル」です。
1階には、案内所が入居しています。
夜になると、各階の看板が煌々と輝きます。道後温泉は、ネオン坂のスナック街が衰退した代わりに、ヘルスのような風俗店が活況を呈しているようです。
道後温泉内の飲食店などが建ち並ぶ通りにストリップ劇場の「ニュー道後ミュージック」があります。
建物の左手にある事務所の入口。
入口付近。
ネオン看板が美しい劇場です。
今回は、道後温泉(愛媛県松山市)の町並みと風俗を散歩します。
明治時代、夏目漱石「坊ちゃん」で描写された旧松ヶ枝遊廓跡地は、その後は、ネオン坂歓楽街と呼ばれるスナック街に生まれ変わりました。*1
現在は、そのネオン坂の看板も取り去られ、新しい町に生まれ変わろうとしているようです。
坂に沿って、かつての赤線跡の建物が建ちならんでいます。坂を登りきると、寺院の敷地につきあたります。*2
寺院の前にあったかつての妓楼の建物*1 は、無くなって駐車場になっていました。
坂の中ほどに残されていた妓楼の建物*1*2 も現在はありません。ここ数年で急激に様変わりしたようです。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.90-P.91
*2 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005.6)P.283-P.285