真栄原社交街にある一見何の変哲もない自販機。

夜になると、赤いネオンが煌々と輝きます。

よく見ると、自販機内の蛍光灯に赤色のフィルムが巻きつけられています。
ちょんの間と言えば、店の入口のネオン管を連想しますが、真栄原社交街では自販機も艶っぽい色で誘ってきます。ネオン管の誘惑に負け、この自販機で「さんぴん茶」を購入してしまいました。

ちなみに、普通の自販機はこんな感じです。(大謝名にて)

真栄原社交街にある一見何の変哲もない自販機。

夜になると、赤いネオンが煌々と輝きます。

よく見ると、自販機内の蛍光灯に赤色のフィルムが巻きつけられています。
ちょんの間と言えば、店の入口のネオン管を連想しますが、真栄原社交街では自販機も艶っぽい色で誘ってきます。ネオン管の誘惑に負け、この自販機で「さんぴん茶」を購入してしまいました。

ちなみに、普通の自販機はこんな感じです。(大謝名にて)

現在沖縄に存在する大規模な買売春街は、旧辻遊郭一帯のソープランド街を除けば、ほとんどが戦後アメリカ軍基地を背景に成立したものです。その象徴的な存在の一つが、宜野湾市の真栄原です。真栄原二丁目の新町のバス亭のすぐ前に、「真栄原社交街」と書かれたアーケードがかかる横道があります。*1

住宅地の真ん中に、道路で縦横に区画され、スナックのような店舗が密集した一画があります。ここが、「真栄原社交街」と呼ばれている地域です。

車でのアセクスが多いせいか、付近には大規模な駐車場がいくつもあります。

夕方になると、社交街の中を周回する自動車が増えてきます。

【参考文献】
*1 藤野豊:忘れられた地域史を歩く(大月書店,2006)P.135-P.152
沖縄には、亀甲墓(かめのこうばか)と呼ばれる独特の形状のお墓が町のあちこちにあります。
大山から真栄原に至る途中の大謝名二丁目にある亀甲墓は、道路に面した見やすい場所に2基、向き合うように並んでいます。

亀甲墓は、俗に母胎をかたどったものであると言われています。人は死ぬと再び元のところへ戻るという期元思想のあらわれといわれています。*1

道路を挟んだ向かい側に、もう1基あります。

こちらの亀甲墓は、白く塗られているのが特徴です。

【参考文献】
*1 渡邊欣雄,岡野宣勝,佐藤壮広,塩月亮子,宮下克也:沖縄民俗辞典(吉川弘文館,2008) P.144-P.145
宜野湾市大山に、かつら専門店があります。

「カツラ」、「ツーペ」と書かれた看板。

店の窓いっぱいに、かつらが並ぶ光景は圧巻です。

琉球舞踊で使う「カツラ」でしょうか。

今回は、真栄原(沖縄県宜野湾市)の町並みを散歩します。
1983年4月にマキノ正幸が沖縄県那覇市に開校した沖縄アクターズスクールは、安室奈美恵、MAX、SPEEDなどを排出した沖縄初のタレント養成学校です。*1

現在は、宜野湾市大山に本社があります。

沖縄アクターズスクールが生んだスーパースターの安室奈美恵さんは、コギャルファッションの教祖となりました。サラサラの茶髪にパール系のルージュ、真っ黒な肌にへそ出しルック、「パンツが見えても全然OK」という超ミニスカートに厚底のブーツを履いたコギャル達は「アムラー」と呼ばれ、渋谷のセンター街などでは見ない日はありませんでした。*2

入口には、アクターズスクール出身者のタレントの写真が飾られています。

【参考文献】
*1 大西 貢司:ポピュラー音楽研究.4(2000) 90’s沖縄系-POPの諸相~沖縄アクターズスクール出身ミュージシャンを中心に(大会報告 1999年度〔日本ポピュラー音楽学会〕第11回大会(沖縄県立芸術大学)) P.115
*2 アムラー徹底研究会:コギャルの星 安室奈美恵の研究(飯倉書房,1996) P.13-P.14
前島のビル街に点在する風俗店。店の入口には、水着ギャルの写真が貼ってありますが...

建物の壁には、「環境浄化指定××..夜あそび非行のもと」の貼紙。

「客引きや呼び込み行為禁止」の貼紙。

こちらは、たて看板タイプです。

辻から若狭大通りを北東へ進むと潮渡川に出ます。川にかかる夫婦橋を渡った先のコンビニのローソンのところを右に曲がったあたり(前島三丁目)に風俗店が点在するエリアがあります。

素泊まり¥1,500.-の宿。左隣に風俗店があります。

ディープな雰囲気が漂う店の入口。

入口のドアにオリオンビ-ルのキャンペーンガールのポスターが貼ってある風俗店。

ソープランド、スナックなどが密集する辻の歓楽街には、風俗店の無料紹介所が多数あります。

派手な看板が目につきます。

紹介所のほとんどは、交差点の角にあります。

24時間営業のスーパーの建物の1階にある紹介所。

ほとんどが鉄筋コンクリートのビルに建て変わっている辻の料亭ですが、唯一、当時の建物が残っているのが、料亭「左馬」です。

料亭「左馬」は、はじめ那覇の栄町で繁盛していましたが、辻に戻って、移転開業しました。*1

現在は休業中のようです。

赤瓦屋根の立派な建物です。

【参考文献】
*1 上原栄子:辻の華. 戦後篇 上(時事通信社,1989)P.185
辻の遊廓は、那覇大空襲で焼失しましたが、戦後、バーや料亭が密集する歓楽街として再建されました。
辻のソープランド街の周辺に、料亭が現在も営業しています。

近代的な料亭の建物です。

料亭「那覇」は、1950年に那覇の沖映近くのカーブ川ぎわに開業、270人の女給がいました。料亭「那覇」は、その後、辻に移転しました。

1952年開業の料亭「松之下」。辻での建築第一号でした。経営者は、「辻の華」の著者の上原栄子さんで、まれな美貌の持ち主でした。*1
現在は、近代的なビルに建て替っています。

【参考文献】
*1 比嘉朝進:戦後の沖縄世相史 事と年表でつづる世相・生活誌(暁書房,2000年7月) P.53,P.68