根津(山の湯)鼻の欠けた老婆に出くわしました。

根津神社の近くに銭湯の山の湯があります。
根津生まれの荒川センさんの話によると、山の湯近くに昔共同便所があり、子供のころ順番を待っていたら、中から梅毒で鼻の欠けた、顔立ちの異様にくずれた元お女郎さんの老婆が出てきて、腰を抜かしたそうです。山の湯の近辺には、遊廓で働いていた人のたまり場のようなものがありました。*1

山の湯は、根津神社へ行く道の途中にあります。

瓦屋根のある佇まい。

歴史を感じさせる銭湯です。

【参考文献】
*1 森まゆみ:不思議の町根津(筑摩書房,1997)P.220

参考文献

参考記事

根津(遊廓跡)女性に縁の深い土地。明治21年に洲崎に移転。

今回は根津(東京都文京区)の町並みと風俗を散歩します。
「明治の東京」*1 によると、「藍染橋(在の根津一丁目の交差点付近)までは、引手茶屋であったらしく、橋から先が娼楼の区域で、権現の方へ曲がっている八重垣町の方に大楼があったのではなかろうかと思う。」と紹介されてます。*2*3

根津神社近くの商店。根津遊廓のことを記した銅版のプレートがあります。

根津遊廓は明治21年をもって、洲崎に移転したため、現在、その名残はありません。
しかし、遊廓的な雰囲気は移転後も残っていました。 「不思議の町根津」*1 によると、今の根津小学校の近くで、夕方になると日本髪を結って、白粉をつけた2、3人出てきて客を引いていました。*4

遊廓移転後の明治29年、根津神社内に残っていた旧大八幡楼の建物を利用して、温泉旅館「紫明館」ができました。そして、数年前までは日本医科大学の看護婦寮でした。町の歴史を長く知る人たちは、「あそこはよっぽど女に縁の深い土地に違いない。」と噂しています。*4
現在、看護婦寮があった場所は日本医科大学大学院になっています。

【参考文献】
*1 馬場孤蝶:明治の東京(丸ノ内出版,1974)P.8-P.9 中央公論社昭和17年刊の複製
*2 上村敏彦:花街・色街・艶な街(街と暮らし社,2008)P.70-P.72
*3 林順信:東京路上細見①(平凡社,1987)P.174
*4 森まゆみ:不思議の町根津(筑摩書房,1997)P.104,P.219-P.220

参考文献

参考記事

五反田(新東京会館)池上線ガード下。絵になる風景。

五反田の駅のガード下は、立ち飲みやが多く、サラリーマンたちの憩いの場となっているようです。中でも、池上線のガード下は、絵になる風景がひろがっています。

路地の入口の角の立ち飲み屋さん。

路地には、居酒屋などが建ち並びます。

逆方向から見たところ、向こう側にソープランドの看板が見えます。

参考文献

参考記事

五反田(花街跡)旅館の建物が残っています。

五反田の花街が開業したのは、大正10年で、当時は田んぼだった場所に麻布から4軒の芸者屋が移ってきたのが初まりです。その後、大正14年に、三業地の指定を受け、昭和5年には、芸者屋50余軒、料理屋28軒、待合60軒、芸者の総数200余名を数える繁栄を示しました。1
現在は大型のビルが林立し、花街の面影はありませんが、唯一、目黒川沿いにある料亭風の旅館の建物が、当時の雰囲気を伝えています。
2

旅館の入口付近。

重厚な雰囲気の塀が延々と続きます。

定員2名の部屋。

【参考文献】
*1 東都芸妓名鑑(南桜社,1930)
*2 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,)P.117

参考文献

参考記事

この記事を参照している記事

五反田(海喜館)建物の周囲はシートで囲われています。

五反田(駅前の路地)木製消化器箱があります。

JR五反田駅西口から100mぐらいのところの路地。古い店舗が軒を連ねています。

路地からは、JR山の手線が見えます。

レストランの建物の脇に消火器箱があります。

都内では、めずらしい木製の箱です。

参考文献

参考記事

この記事を参照している記事

五反田(グリルエフ)昭和25年創業の老舗洋食レストラン。

五反田(明治の牛乳箱)昔の雰囲気が残る路地です。

今回は、五反田(東京都品川区)の町並みを散歩五反田の有楽します。五反田の歓楽街「有楽街」の近くに、昔の雰囲気が残る路地があります。

カラオケ店の隣に古い民家があります。

明治の牛乳箱。


JR五反田駅から徒歩5分の大都会に、牛乳箱が残されているは貴重です。

参考文献

参考記事

湯島(天神下の旅館)御同伴、御食事の看板。旧花街の一画。

旧花街の一画。

古びた旅館の建物が残っています。

御同伴、御食事の看板。

裏口もあります。

参考文献

参考記事

湯島(天神下の花街跡)東京でも最大規模の花街でした。

湯島天神下の旧花街は、春日通りをはさんで、南北に二分されていますが、その南半分の区画の真ん中200メートルばかりの路地は、「おばけ横丁」と呼ばれていました。このあたりは、花柳界華やかなりし頃、仕舞屋(しもたや)風の芸者置屋が軒を並べていました。「おばけ横丁」とは、一方(春日通りから北半分)に料亭や料理屋が立ち並んでいて賑やかだったことに比べての閑静さをいったものです。*1

全国芸妓芸妓屋同盟会があったあたり。湯島天神下(下谷)の花街は、東京でも最大規模の花街でした。*1

湯島天神下の花街は昭和30年頃まで全盛を極めましたが、以降はだんだんと客離れが目立つようになり、スナックなどに転業しました。
ピンサロやトルコ風呂などの風俗店も進出しましたが、長続きしなかったようです。*1

「湯島トルコ」があった場所*1 は、現在は、駐車場になっています。

【参考文献】
*1 神崎宣武:盛り場のフォークロア(河出書房新社,1987)P.77,P.96,P.141,P.221

参考文献

参考記事

湯島(客引き禁止看板)日本語、韓国語、中国語。

地下鉄千代田線湯島駅近く。日本語、韓国語、中国語で書かれた客引き禁止看板。

東京都の条例改正に伴い、店の前に従業員が立つことが禁止されることになりました。これによって客足が遠のいては困るので、このような説明書きがされているのでしょうか。

明るく楽しい町づくり。

ボッタクリ禁止看板。隣に賃貸マンションのビラがありました。

参考文献

参考記事

湯島(バラエティショップ)おとなのおもちゃ屋さん。

今回は、湯島(東京都文京区)の町並みと風俗を散歩します。
上野広小路近くの繁華街。バラエティショップがあります。

店の看板にはバラエティショップと書かれていますが、いわゆる大人のおもちゃ屋さんです。

手作り感のあるショウ・ウィンドウ。白色の蛍光灯とにアルミホイルが使われています。

ドクター中松が発明。

参考文献

参考記事