蕨駅西口の陸橋近く。細長いビルがあります。屋上に小屋のような建物が増設されていて、遠くから眺めても目をひく建物です。

1階に、わらびOS劇場の入口があります。昭和50年代、蕨OS劇場の目玉は、「過激に興奮!外人大会」でした。*1

1階の貼紙。

入口は2階です。

【参考文献】
*1 山谷哲夫:じゃぱゆきさん(岩波現代文庫,2005)p.270
蕨駅西口の陸橋近く。細長いビルがあります。屋上に小屋のような建物が増設されていて、遠くから眺めても目をひく建物です。

1階に、わらびOS劇場の入口があります。昭和50年代、蕨OS劇場の目玉は、「過激に興奮!外人大会」でした。*1

1階の貼紙。

入口は2階です。

【参考文献】
*1 山谷哲夫:じゃぱゆきさん(岩波現代文庫,2005)p.270
蕨は、風俗系の貼紙が多い町です。陸橋の下の自転車置き場付近は、多種多様な貼紙が貼られています。

「バイ@グラ」の貼紙。

デリヘルの貼紙。

こんな貼紙もありました。(駅西口の電信柱にて)

蕨駅東口の駅前ロータリーに、「飲食街」と書かれたアーケードがあります。

飲食街の中央部にそびえる飲食専門ビル。スナック・パブが大半を占めていて、風俗ビルと言ってもいいくらいです。

スナックなどが入っている古い建物。ゴチャゴチャ感が何ともいえません。

複数の風俗店が入るビルの1階。

今回は、蕨(埼玉県)の町並みと風俗を散歩します。
JR蕨(わらび)駅は、赤羽と浦和の間に位置し、東京への通勤圏です。

東口のエスカレーターを上りきったところに、求人雑誌の棚の後ろに大切に置かれている箱があります。

白ポストは、東京近郊では、ほとんど見かけません。都会の駅に設置されているのは貴重だと思います。

白い箱。いいネーミングです。紺のラインがアクセントになっています。

中田宿から栗橋へ旧街道を歩きます。途中にある電柱には、昭和22年に利根川の堤防が決壊したときの水位が赤線で記されています。ちょうど大人の背の高さぐらいです。写真の左側は利根川の堤防です。
昭和22年の洪水とは、9月のキャスリーン(カスリーン)台風のことを指していると思われます。この頃は、台風に女性の名前がつけられていました。

旧街道らしい町並み。

古い建物も残っています。

栗橋駅近くの電柱。浸水した高さを示す赤い線は、大人の背丈よりはるか上の位置にあります。

今回は、栗橋(埼玉県)の町並みと風俗を散歩します。*1
中田遊廓跡には、廓を1周できる道が残っています。そのうちの南側の角のあたり。

ピンク色の建物。

赤線跡を歩く*2 に掲載されているあるお宅の裏門。

建物は残っていませんが、広い敷地を持つお屋敷だったようです。

【参考URL】
*1 風俗散歩(栗橋,第1回,2005.11)
【参考文献】
*2 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.99
皆ヶ作の市街地の北側に位置する船越町には、古いスナックやバーの建物が残っています。

2階部分に半円形の窓があります。

1階にも半円形のデザイン。

入口のドアに、当時のものと思われるプレートが残されていました。

現在の船越六丁目は、旧町名で「駒寄(こまよせ)」と呼ばれていました。駒寄、細長い谷戸で、この谷戸の一角の田んぼを埋めてみんなが協力しあって作った町だ、ということから「皆(みな)ヶ作」、それが転じて、「かいがさく」と言うようになりました。ここには、花屋敷(文字通り植物の花を扱っていた屋敷)がありました。昭和初期には、皆ヶ作の入口から奥へ、たくさんの居酒屋やカフェーが軒を連ね、どの店にもきれいな女給さんがいて、愛想よく客を呼び込んでいました。*1

「駒寄会館」に旧地名が残されています。

町内会には、「駒寄」の地名が継承されているようです。

京急田浦駅近くの丘陵から、駒寄(現在の船越町6丁目)方面。周囲を山に囲まれた谷戸であることがわかります。

駒寄の入口には『歓迎花屋敷花柳界入口』」の大アーチの看板がありました(銘酒屋街の入口と思われます。)。
最盛期、銘酒屋は45軒ぐらいあり、娼婦は1軒につき4人ぐらいいました。*2
町の南側から見た、皆ヶ作の市街。銭湯の煙突が見えます。

入口付近。ブロック塀に書かれた「竹の湯」の文字がいい味を出してます。

銭湯の裏側は空き地になっていました。

女将さんが番台に座り、中央は衝立で仕切られています。内装は木材がふんだんに使われています。
