みなと総合研究財団坂出港の「みなと文化」みなと総合研究財団 リンク
信仰・塩釜・金比羅さん
P.92-10 坂出港の原点となった西運河とそれに続く沖湛甫には金刀比羅宮がある。天保 2年(1831)沖湛甫が築造されて船舶の出入港が多くなり、海上安全を祈願するため、天保8年(1837)祭られた。境内の常夜灯には天保10 年(1839)のものと、文久 3 年(1863)のものとがある。文久3 年のものは尾州(尾張の国)廻船中とあり、大きく立 派なもので、名古屋方面の船も入港していたことがわかる。
遊里・料亭
P.92-16 昭和27年(1952)発行の坂出市史によると、商業の業種別数で料理16、旅館26 とある。また、同じ年に東京交通社が発行した坂出の商店街地図によると、商店街とその周辺だけで割烹旅館7、割烹飲食店6 店、芸妓紹介所1とある。当時の人口は約5 万人である。昭和30年頃の坂出をよく知る経済人は、当時「芸者を斡旋する検番が 2 軒あり、芸者は100人余りいた。花代(芸者を揚げる費用)にもルールがあって、座敷に芸者を揚げて いると他店からその芸者にもらい・・・がかかり、これを断ると花代は2倍になり、さらにぜひ・・とも・・というのがあって断ると4倍になった。」と話す。港町坂出にも売春防止法が施工される昭和33年(1958)まで沖湛甫に遊廓があった。近くの人は「日の出・奴・新栄などの店があり、外国の船員さんも来ていた」と言う。