国際園は、戦後にマーケットの一部として発展した集娼地区でした。国際園は、はじめ国際街と呼ばれ、岐阜市の中心に位置する金(こがね)神社の境内にありました。大宅壮一さんは、「日本の裏街道を行く」*1 の中で、「神社の入口に、公衆便所と並んで”国際街”とネオンで書いたアーチをくぐると、その中はまるで娼家のトンネルであった。」と語っています。昭和31年国際街の移転が決まりましたが、その土地区画は、鉄道(JR)を挟んで金津園(現ソープランド)とは真向かいに位置していました。*2
花園町のあたりの電柱には、「国際」と書かれたプレートがあり、この付近が国際園があった場所だと思われます。
スナック風の建物が並ぶあたり。
玄関部分がタイルで装飾されています。
和風の建物。
【参考文献】
*1 宅壮一:日本の裏街道を行く(文芸春秋新社,1957)
*2 加藤政洋:敗戦と赤線(光文社,2009)P.136-P.142