遊廓があった新町は、1945年(昭和20年)の空襲により壊滅。終戦後、お茶屋さんが建ち、新町は復興しましたが、次第にすたれていきました。現在はビル街になっています。*1
新町の遊女にまつわる浄瑠璃などで有名な吉田屋の夕霧太夫ですが、舞台となった吉田屋は17代続きましたが、昭和34年にやめられました。吉田屋の跡の3分の1は、フーセンウサギ本社ビル(新町2丁目2-2)となりました。*2
最後まで残っていたお茶屋の「しづ家」も昭和62年に閉店となり、現在はマンションに建て替わっています(写真右側)。*2
「しづ家」の跡地の近くに、花街だった頃の雰囲気の残る石畳の路地があります。
【参考文献】
*1 中村哲:写真で見る消えた大阪の宝(日本機関紙出版センター,2010)P.84-P.85
*2 鈴木金子:私の見てきた新町(鈴木金子,2000)P.24,P.50,P.63