積丹半島の神威岬周辺は、昔から海の難所とされていて、女人を乗せた船の通行が禁じられていました。*1
開拓時代の北海道において、出稼人の多く集まるところに、それを相手とする遊里が生まれるのは常で、松前、江差をはじめ各漁場には、娘子軍(遊女)が集まり、性の安売りが開始されていました。ところが、小樽においては例外で、漁場に次第に滞在者が多くなっても、久しく娘子軍(遊女)が姿を見せませんでした。これには、「神威岬から北へ(小樽も含まれる)女人が渡れなかったこと。=女人禁制という歴史の壁」が原因していたと考えられています。*2
神威岬の突端までは遊歩道が整備されています。
神威岬の先にある「神威岩」。その特異な形から、チャレンカの化身と言われています。
【参考文献】
*1 野中長平:風土記稚内百年史(野中長平,1977)P.47-P.48
*2 小寺平吉:北海道遊里史考(北書房,1974)P.123-P.125