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全年代 > 20世紀 > 1950年代(戦後)

上野(三軒長屋の商店の看板建築)3色3階建て。

佐竹商店街の東側(小島一丁目)の清洲橋通り。

三軒長屋の商店。色は3色です。

2階部分。

後方に、3階建て部分が見えます。

上野(佐竹商店街の看板建築)鮮やかな銅板。

佐竹商店街から西へ入った路地。

看板建築の建物が残っています。

銅板建築。

隣のトタン建築の物干し台。

上野(燕湯)宮型銭湯とビル型銭湯の融合。

上野3丁目のビル街。

銭湯の燕湯は、国の登録有形文化財に指定されている貴重な銭湯です。

ビルの1階部分が宮型銭湯となっていますが、建物全体はビルになっている独特の建築です。

銭湯の裏側の通り。

上野(玩具問屋「上野屋」)創業は昭和25年。

上野アメ横の東側の通りにある玩具問屋「上野屋」。
創業は昭和25年(1950年)です。*1

店舗の前面には、マスク類が所狭しと陳列されています。宴会などで使用するおもちゃ類を販売しているようです。

看板には、「流行・教材・季節・景品・サービス・花火 各種玩具」「玩具問屋」と書かれています。
2階部分には懐かしいアニメなどのポスター類が貼られています。

ボビーオロゴン、美川憲一(コロッケ)。

参考文献

*1 玩具問屋 上野屋 玩具問屋 上野屋 公式ホームページ リンク
・上野アメ横 海産物食料品のメイン通りのおとなりで1950年(昭和25年)よりおもちゃ一筋で営業。 ・最新流…

幕張(鈴の湯)破風屋根の軒下には「鈴」のオブジェ。

幕張駅の北東側。徒歩5分のところにある銭湯の鈴の湯。

昔ながらの銭湯です。

銭湯には、破風屋根の軒下に細かな細工の懸魚(けぎょ)を見かけることがありますが、鈴の湯の場合は「鈴」のオブジェです。

「鈴の湯」と書かれた煙突。

新小岩(旭湯)住宅街にある昔ながらの銭湯。

江戸川区松島の住宅街の中にある銭湯の「旭湯」。

都内ではめずらしい、昔ながらの銭湯です。

中庭には金魚が泳いでいます。

建物の南側。

鶯谷(とんかつ店「とん平」)戦後開業の老舗。

鶯谷駅南口の前から言問い通りへ向かう坂道の下。

老舗とんかつ店「とん平」があります。開業は戦後だそうです。

カウンター席だけのこじんまりとした店です。とんかつはロースカツとヒレカツのみ。

ロースカツとライス、ビールを注文。

浅草橋(すし栄)かつては銀座で数店舗をれん分け。

浅草橋5丁目にある「すし栄」。

握り寿司とビールを注文。

かつての「すし栄」は銀座数店舗あったそうです。

ピンクの看板が目印です。地元の方の話によると、かつては「ピンク寿司」と呼ばれ親しまれていたそうです。

浅草橋(鶴の湯)料亭のような意匠。鶴が彫りこまれた懸魚。

蔵前橋通りの南側。浅草橋5丁目に、銭湯の鶴の湯があります。塀や建物の壁面は鮮やかな水色に塗られています。

鶴が彫りこまれた懸魚は見事です。

料亭の建物のような意匠。

入口。

上野(寿湯)当時の佇まいを残す銭湯。稲荷町駅近く。

銀座線稲荷町駅近く。

銭湯の寿湯。

本格的な銭湯ですが、内部は改装されている部分もあって快適です。

入口。

上野(老舗洋食店「とうかい」)小ぶりながらも味は絶品。

上野公園通りを北へ進んだところにある老舗洋食店の「とうかい」。

洋食店のメニューはひとおり揃っています。

店内は質素ですが、非常に落ち着きます。

オムライスとビールを注文。オムライスは小ぶりながらも味は絶品でした。

福富町(てんぷら「登良屋」)伊勢佐木モール近くの老舗。

福富町に隣接する吉田町。「野毛おでん」のある通り。この通りの向こう側は伊勢佐木モールです。

老舗天ぷら店。

「登良屋」の暖簾

天ぷら定食と日本酒を注文。

野毛(中華料理「萬福」)町中華のサンマー麺。

野毛の繁華街の南側。このあたりまでくるとっ少し落ちついた雰囲気の町並みになります。

中華料理「萬福」。町中華の王道を行くような佇まいです。

メーニューは、すべて漢字表記が加えられています。

サンマー麺とビールを注文。

野毛(日の出理容院)都橋商店街の隣。レトロなドアと外壁。

大岡川に沿って建つ都橋商店街の西隣の飲食店街の建物。

2階が居住部分です。

ビルの1階はのほとんどは飲食店ですが、1店舗だけ理容室があります。

レトロなドアと外壁。

下館(シネマ1)大映映画のマーク。現在は閉館。

下館の稲荷町にある映画館の「シネマ1」。

遠くからでもこの看板を見つけることができます。

入口とチケット売り場。

大映映画の系列だったのでしょうか。

長崎丸山(遊廓時代の石塀)寄合町の玉泉神社。

今回は、長崎丸山(長崎県長崎市)の町並みを散歩します。
かつての遊廓だった丸山。寄合町に玉泉神社があります。

この玉泉神社の南側と東側には、遊廓時代からあった石塀が現在残っています。

南側の石塀。

東側の石塀。

参考文献

*1 長崎国際観光コンベンション協会 長崎さるく
新地・丸山界隈 長崎さるくモデルコース
・遊廓時代の石塀の解説。

板橋(熊の湯)後方部分は昔のままの銭湯建築。

志村坂上の城山通りを西へ進むと、銭湯の「熊の湯」に行きつきます。

前面部分は改装され、「湯ーとぴあ熊の湯」という名称になっています。

西側から見た外観。後方部分は昔のままの建築が残されています。

東側から。

成増(浩乃湯)昔ながらの「昭和レトロ銭湯」。

成増駅から練馬駅行きのバスに乗って約10分。埼玉県和光市にある銭湯の「浩乃湯」。

昭和レトロな銭湯です。

玄関。

内部も昭和レトロです。

成増(成増マーケット)すずらん通りの昭和の空間。

成増駅南口駅前のすずらん通り。古くからある商店街です。

すずらん通りにある成増マーケット

昭和な空間が残っています。

飲食店が営業中です。

八王子(八王子三業組合)敷地には三業稲荷。

花街があった中町の西隣の南町。

八王子三業組合の建物があります。

提灯。

三業会館の奥にある「三業稲荷」。

八王子(置屋「ゆき乃恵」)風情のある柳の木。

料理屋「すゞ香」*1 の北側。

黒塀に囲まれた置屋の「ゆき乃恵」。

建物脇の柳の木。

近くには、昭和30年代の花街の地図が掲示されています。

八王子(八王子花街)現役の花街。織物業で栄えた町。

今回は、八王子(東京都八王子市)の町並みを散歩します。
かつて、織物業で栄えた八王子には、明治時代から花街がありました。現在も現役の花街として、中町には、料理屋が営業中です。

近年、黒塀が整備されるなどして、花街の風情が復活しました。

「すゞ香」は、当時の芸者衆の待合だった建物を改築したもので、今でも当時の面影が残っています(「すゞ香」の張り紙より)。

「八王子花街・黒塀通り」の説明書き。

大宮(アイスビル)昭和23年に「なんぎん」を命名。

大宮の南銀座。南銀座通り、ナンギンの通称で知られる繁華街です。

奇抜なデザインのアイスビル。

バーや居酒屋が入居しています。

「なんぎん」の呼び名は、昭和23年にアイスビルにより名付けられました。

白山(富士見湯)現在は休業中。手書きの看板。

白山花街があった白山一丁目の南側の通り。

銭湯の富士見湯があります。

現在は、一時的に休業中です。

手書きの看板。

町田(仲見世飲食街)商店街とつながっています。

仲町商店街の入口のすぐ左隣りにある「仲見世飲食街」

スナックもあるようです。

飲食街の奥の洗い場。

反対側の入口。商店街とつながっています。

厚木(花街跡)料理屋と思わわれる屋号が残るお宅。

厚木の芸妓の存在は、江戸末期にはあったとされ、江戸時代中期以降の大山参りの隆盛に伴い、遊興の地となりました。戦後、昭和29年には、「厚木三業組合」が結成されました。*1
厚木花街のあった寿町一丁目。北側の通りは飲食街になっています。

寿司屋や居酒屋が建ち並びます。

道がカーブしている場所。

料理屋と思わわれる屋号が残るお宅。

1970年代、厚木の料亭街には、芸者が150人ほどいました。*2

参考文献

*1 厚木市教育委員会 厚木市史 民俗編 2 厚木市
P.190 芸妓 厚木の芸妓の存在は、江戸末期にはあったとされ、江戸時代中期以降の大山参りの隆盛に伴い、…
*2 小学館 ますます凄くなった東名好色ハイウエイ 週刊ポスト 7月10日号 1970.7.10
P.134 いよいよ狙い時の厚木の街 6月1日の鮎漁解禁以来、相模川には、キレイどころを乗せた船が浮かん…

浅草(料亭都鳥)花街の名残。新しいビルに建て替わっています。

浅草寺病院の北側。浅草3丁目5−7のあたり。この付近には、料理屋が建ち並んでいました。

現在の浅草一文別館のあたり。

料亭「都鳥」。

新しいビルに建て替わっています。

浅草(浅草三業会館)銅メダル獲得記念樹。

浅草花街の歴史は古く、参詣客を集めた浅草観音の門前の茶屋に由来し、その時代は、明暦年間(1655~1657)にさかのぼります。*1

浅草花街の中心部に浅草三業会館の建物があります。

提灯。

レスリングの浜口京子選手の銅メダル獲得記念樹。会館の前に植えられています。

参考文献

*1 浅草見番 浅草見番 公式ホームページ リンク
浅草見番の歴史 浅草寺の北に広がる浅草花街は、伝統と格式を誇る東京屈指の花柳界のひとつです。 古…

浅草(正直ビアホール跡)昭和の初期から続く名店。

浅草ひさご通り商店街を北へ抜けた交差点のあたり。

「正直ビアホール」の建物が残っています。

昭和の初期から続く名店でした。

モダンなドア。

佐原(稲荷神社)佐原見番、色川八十八寄進の玉垣。

かつて佐原の花街があった周回する小路※1 にある稲荷神社。

玉垣に、花街の関係者の名が刻まれています。
色川八十八(いろかわ・やそはち)は、歴史家の色川大吉さんの祖父で、佐原の芸者屋「鹿島家(かしまや)」の経営者で、妻を7人も変えた男として知られていました。*1

佐原芸妓の開祖は、明治初年上仲町の「哥川」の「小よし」で、明治32~3年頃の成田鉄道開業の頃には、芸妓百数十名にのぼり、毎夜、賑わいました。*2

花街の関係者の名が刻まれています。

参考文献

*1 色川大吉 わが半生の裏街道 河出書房新社 原郷の再考から 2017
鹿島家 P.12-P.13 フー坊には、ハナハチという祖父がいた。実名は八十八、ヤソハチというのだが、子供に…
*2 篠塚猶水 佐原案内 中村写真館 1914
P.89-P.90 佐原芸妓の開祖は、明治初年上仲町の「哥川」に「小よし」と称して売り出し。千代川の今吉等は…

参考記事

※1 佐原(料理屋「寿茂登」裏の小路)旧花街。周回する小路。2019-08-22

佐原(料理屋「寿茂登」裏の小路)旧花街。周回する小路。

料理屋「寿茂登」※1 の裏側は、地元の方の話によると、かつての花街の中心地だったそうです。
小路の両側には、現在も料理屋が建ち並んでいます。

営業中の飲食店。

風情のある料理屋。

小路は、ぐるりと1周していて、元の大通りへ出ます。

佐原(花街だった通り)割烹料理屋が散在。

今回は、佐原(千葉県香取市)の町並みを散歩します。
佐原信用金庫のある通りは、かつては、置屋や料理屋などが建ち並ぶ通りでした(地元の方の話)。

現在も割烹料理屋が散在し、当時の名残を感じます。

料理屋らしき建物。

上野写真の料理屋の脇の路地。

佐原(小川路地)軒下に掲げられている屋号。かつての歓楽街。

小川路地の北側の入口。

飲食店街を抜けると空地に出ます。

飲食店だったと思われる建物。

軒下に掲げられている屋号。

佐原(旧二業組合跡地)鳥瞰図に記載のある小川路地。

「昭和はじめの佐原の町並み」鳥瞰図と案内板※1 に記載の旧二業見番があったあたり。馬場本店酒造の東側の路地です。案内板に記載では、ここは小川路地と呼ばれていたそうです。鳥瞰図に記載のある、この路地の出口にある小川薬局(現存)が路地の名前の由来と思われます。

長く続く板壁を持ったお宅。

古い建物のようです。

逆方向(北側)から見たところ。

成田(コンクリゴミ箱)花崎町の旧料理屋。

花崎町の旧料理屋※1 に残るコンクリート製ゴミ箱。

ゴミ箱状態。

権現神社裏の石碑の近く。外側のコンクリート部分だけが残っています。

保存状態の良いコンクリゴミ箱もあります(成田市上町)。

下総中山(滝の湯)総武線の車窓からも見える煙突。

JR下総中山駅の東側にあるビル銭湯(写真左奥が総武線の高架です)。

天然鉱泉「滝の湯」。

総武線の車窓からも見える滝の湯の煙突。

建物の北側の通り。

西船橋(ホルモン酒場「フ)ナバシ屋」)昭和27年創業。

西船橋駅前にあるホルモン酒場の「フナバシ屋」。

昭和27年の創業です。

居心地の良い店内。

焼き鳥7本盛りと日本酒を注文。

歌舞伎町(新宿センター街)思い出の抜け道。

今回は、歌舞伎町(東京都新宿区)の町並みを散歩します。
風林会館前に、現在も闇市の風情を残す横丁が残っています。*1※1
最近、「思い出の抜け道」と書かれたゲートができ、整備されたました。

少し奥へ進むと、以前の雰囲気が残っています。

南側の通路。

屋台のような店舗も健在です。

参考文献

*1 赤岩州五 新宿・渋谷・原宿盛り場の歴史散歩地図 草思社 2018
GHQの露店撤去命令とその後
P.72-P.73 尾津組は三光町(旧町名)の都電路線がわの一角(現・ゴールデン街)に、和田組は甲州街道沿い…

参考記事

※1 歌舞伎町(風林会館前)屋台が並ぶ狭い路地。2006-02-11

池袋(のとや会館)ヤミ市の最後の賑わいの頃に開業。

今回は、池袋(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
池袋駅西口広場に広がっていたヤミ市は、徐々に規模を狭めながらも昭和38年まで生き残っていました。昭和38年にマーケットが撤去される前年(昭和37年)に開業した食堂会館「のとや」のビルが現在も残っていあます。(写真左側のビル)*1

翌昭和38年、マーケットは撤去され、食堂会館が西口広場の奥に輝くように建っていました。*1

このあたりに、「食堂会館のとや」の看板が掲げられていました。*1

現在も残る「のとや」の文字。

参考文献

*1 日本文芸社 池袋ノスタルジア 荷風!vol.15 2008.3
P.30-P.31 西口広場 池袋西口に広がっていたヤミ市は、徐々に規模を狭めながらも昭和38年まで生き残って…

浅草橋(柳橋の花街跡)現在はビル街。当時の料亭と思われる建物。

柳橋の花街跡。現在はビル街になっていて面影はありません。

当時の料亭と思われる建物。

当時の住宅地図には、料亭「宮城」と記されています。

旧料亭の建物は、次々とビルに建て替わっていく中、当時の建物が残っているのは、貴重と言えます。

銀座(出世地蔵尊)昭和27年のキャバレー「美松」の火事で移転。

銀座三越の屋上。

中央がお堂。左側に石像があります。

お地蔵さんは、現在の三越の裏手にあたる空地にあって、人々の信仰の対象になっていましたが、戦後になると、お地蔵さんは、キャバレー「美松」※1 の中庭につくられた祠に安置されました。ところが、昭和27年の秋に「美松」が火事に遭い、お地蔵さんは行き場をなくしました。昭和43年になってやっと安住の地を三越屋上に得ることができました。*1

お堂の中には、小さなお地蔵さん。

参考文献

*1 枝川公一 銀座四丁目交差点 二見書房 2000
P.232-P.239 銀座三越の屋上には、見逃すことのできない歴史が「鎮座」している。銀座出世地蔵。これこそ…

参考記事

※1 銀座(キャバレー美松跡地)現在の三越百貨店新館がある場所。2019-06-08

銀座(キャバレー美松跡地)現在の三越百貨店新館がある場所。

現在の三越百貨店新館がある場所には、かつて大型キャバレーの「美松」がありました。

昭和15年(1940年)、まだキャバレーという言葉がなかった時代(当時はカフェーと呼ばれていた。)に、大阪で「赤玉」などをやって当てた榎本正・明三兄弟が、女給が何百人もいるような「銀座会館」「美松」などの店をつくり、東京中を席巻しました。*1*2

戦後も1946年に営業を再開し、戦後を象徴する名門キャバレーとなりました。

昭和37年、保証金の高騰を理由に突然閉鎖。その後、三越に売却されました。

参考文献

*1 福富太郎 昭和キャバレー秘史 河出書房新社 1994
東京のカフェーもエロ・サービス
P.47 関東大震災から昭和5年ころまでは、キャバレーという言葉はまだなく、すべてカフェーと呼ばれてい…
*2 福富太郎 昭和キャバレー秘史 河出書房新社 1994
キャバレー史年表
1940年 3月 キャバレー「美松」(榎本正。銀座三越裏)開店 1945年 8月28日 進駐軍特殊慰安施設協会…

この記事を参照している記事

銀座(出世地蔵尊)昭和27年のキャバレー「美松」の火事で移転。

日本橋(鳥萬)戦前の建物。4階建てのように見える3階建て。

大勝軒※1 の向かい側。同じく戦前の建物の「鳥萬」があります。

食料品の店舗だったようです。

鳥萬の文字。

4階建てのように見える3階建て。

日本橋(大勝軒)昭和32年の建築。緑のタイル。

日本橋本町一丁目に残る中華料理店の建物。
昭和32年の建築です。

建物の側面。一面が緑色のタイルで覆われています。

鮮やかな青いタイルで装飾された「大勝軒」の文字。

1階部分は洋風の雰囲気です。

日本橋(老舗割烹「嶋村」)嘉永3年(1850年)創業。金ぷら

八重洲一丁目の繁華街。日本橋花街の雰囲気を受け継ぐ老舗割烹「嶋村」が現在も営業中です。

創業嘉永3年(1850年)の老舗です。

名物の金ぷらなど、昼のランチもあるようです。

年季の入った提灯。

高田馬場(老舗蕎麦店)早慶戦で早稲田が勝つと掲げられた旗。

早稲田通り沿いにある老舗蕎麦店。ここも2階は学生ローン※1 です。

蕎麦だけでなく、丼ものも充実しています。

店内には早稲田の旗。昭和15年頃まで早慶戦で早稲田が勝つと、商店街に掲げられたそうです。

うな丼セット(980円)と日本酒を注文。

新小岩(千代の湯)シンプルな外観のハイカラ銭湯。

新小岩駅の北。駅前の繁華街からは離れた住宅街に銭湯の千代の湯があります。

シンプルな外観。

レトロな銭湯でありながら、ハイカラな感じの銭湯です。
浴室の背景は、常夏の海をイメージした海岸の絵。天井は、水色、グリーン、肌色の3色模様、と独特の雰囲気です。

コインランドリーが併設。

日本橋(花街跡)横丁や路地に遊興の歴史。

今回は、日本橋(東京都中央区)の町並みと風俗を散歩します。
現在の八重洲一丁目付近は、江戸時代の市街造成期からの古い町並みです。明治維新後は、新時代を代表するような近代諸会社とこれと全く対照的な下町の商店や芸者屋・待合が奇妙に混在する町でした。*1

検番があったあたり。*2

旧花街の南端。「浮舟」は、昭和の初めからある老舗です。*3

日本橋芸者の起源は、安永6年(1777年)、平松町(現高島屋辺り)に芸者がいたことが、「妓者呼子鳥(げいしゃよぶこどり)」に書かれています。*2

参考文献

*1 白石孝 日本橋街並み繁昌史 慶應義塾大学出版会 P.11,P.27 2003
P.11 日本橋の南詰から中央通りを高島屋・丸善の方向にむかった町々は、江戸市街造成期からの古い町であ…
*2 上村敏彦 東京花街・粋な街 街と暮らし社 2008
丸善の裏手にあった日本橋花柳界
P.105 日本橋芸者の起源は古い。「女芸者の時代」によれば、「妓者呼子鳥(げいしゃよぶこどり)」に、常…
*3 武揚堂編集部 あの日の日本橋 武揚堂 昭和25年から30年代の思い出と出会う : 地図と写真でたどる (地図物語) 2007
付録地図(火災保険地図)に昭和初期の町並みの記載。 ・料理店「浮舟」

小岩(栃錦像)多くの人に触されて金色に輝いています。

今回は、小岩(東京都江戸川区)の町並みを散歩します。
JR小岩駅改札口にある栃錦像。昭和の大横綱です。

右手や両膝の内側あたりは、多くの人に触されて金色に輝いています。

お尻もピカピカです。

乳首も。

北千住(梅の湯)昭和初期の建築。オゾン浴泉。

千住5丁目にある銭湯の梅の湯(現在は廃業)。
かつては、昭和初期の建築で、外観、脱衣場をほぼ新築時の姿のまま残す貴重な銭湯でした。*1

オゾン浴泉

北側見た建物の外観と煙突。

南側の駐車場から。

参考文献

*1 町田忍 銭湯遺産 戎光祥出版 2008
梅の湯(東京都足立区) 昭和初期の建築。巨大なモザイクタイル絵はスイスの山並み
P.85 昭和初期の建築で、外観、脱衣場をほぼ新築時の姿のまま残す貴重な銭湯である。正面は堂々としたむ…

北千住(毎日通りのレトロ電柱)現在も使用されています。

毎日通り飲食店街の北側の入口。レトロな電飾看板が建っています。

この看板を支えているのは、レトロ電柱。

今では、ほとんど見ることができなくなったレトロ電柱ですが、毎日通り飲食店街の一画には、10本以上残っています。

レトロ電柱のほとんどは、実際の電柱として活躍中です。

小岩(武蔵湯)入口にタイル絵。美しい煙突。

西小岩の武蔵湯。総武線の車窓からも見える銭湯です。

美しい煙突。

入口にはタイル絵。
最近、内装リニューアルされたらしく、床やロッカーは綺麗で快適です。

廃材置き場。

高田馬場(“湯の街”計画跡地)昭和25年、特飲街騒動。

高田馬場駅前。JR山手線(写真左)と西武線(写真右)と神田川に囲まれた一画に、小規模な飲み屋街が形成されています。
昭和30年頃の住宅地図*1 を見ると、この一画は、「のみや」「ぜんぶのみや」などと記されています。
昭和37年の駅前再開発※1 の後、数年間は「のみや」が残っていましたが、その後は、写真のような飲食店街兼高層マンションに建て替わり、立体化が進みました。

かつては、柳小路というしゃれた名前がつけられていたこの一画。1960年代までは、スラム街同様のドブ小路だったそうです。*2

話はさらに遡りますが、この一画に昭和25年(1950年)、特飲街を建設しようという話が持ち上がりました。*3
ちょうど大田区の池上の特飲街騒動*4※2と同じ時期に、高田馬場でも同様の騒動があったわけです。

夜の飲み屋街。

参考文献

*1 都市整図社 火災保険特殊地図-戦後1新宿区全図 高田馬場方面 年代不明
ガード下に「のみや」の記述。
*2 富田英三 新東京百景 スポーツニッポン新聞社出版局 1975
《高田馬場》一級騒音地
P.100-P.101 騒音地なればこそ繁盛する、飲み屋に焼き鳥、ラブホテル 国電山手線と並行して、その内側…
*3 朝日新聞社 高田馬場に“湯の街”・地元や早大は大反対 朝日新聞 1950.10.4
国電高田馬場駅付近に、“湯の街”を作る計画が向島“ハトの街”の経営者らによって進められ、地元の向上や学…
*4 時事通信社 時事通信 (1510) 時事解説版 世論にゆらぐ歓楽街――池上の場合 1950.11
P.2241-P.2242 「池上特飲街付近」に、特飲街の場所の記載。 住宅地域に割り込んできた新しい”湯の街”特…

参考記事

※1 高田馬場(女神の像)昭和37年の駅前再開発。2019-04-15
※2 池上(特飲街跡地)1950年に出現した歓楽街。2019-01-28

この記事を参照している記事

高田馬場(料理屋「海の家」跡地)特飲街が計画されたこの一画。

高田馬場(カード下の飲み屋群)戦後のバラック飲み屋の名残。

高田馬場駅の西武新宿線のガード下は、戦後、バラック飲み屋の一群がありました。*1

現在もその名残の飲み屋街が続いています。

3階建ての建物。

戦後の住宅地図*2 によると、神田川近くまで建物が続いていました。

参考文献

*1 都市整図社 火災保険特殊地図-戦後1新宿区全図 高田馬場方面 年代不明
ガード下に「のみや」の記述。

鳩の街(物干し竿受けある風景)木製の支柱。

京島三丁目は、昔ながらの住宅街です。

物干し台のある木造家屋。

木製の支柱。

スカイツリーと物干し台。

鳩の街(赤線跡)1階から2階へ突き抜ける円柱。

旧赤線街「鳩の街」*1 の北端あたり。

青の円柱の建物が残っています。

1階から2階へ突き抜ける円柱。

青一色で統一されています。

鳩の街(赤線跡)黄緑色を基調とした窓の廻りの装飾。

数年前までは、いくつか当時の建物*1 が残っていた通り。

多くの建物が消失する中、こちらの建物は当時のままで残っています。

黄緑色を基調とした窓の廻りの装飾。

現在も鮮やかなタイルの装飾。

鳩の街(良の湯)入口のシャッターに富士山の絵。

今回は、鳩の街(東京都墨田区)の町並みを散歩します。

入口のシャッターには、富士山の絵。

お湯は木材で沸かしているようです。

煙突。

向島(木造家屋群)周囲は開発が進むなか、奇跡的に残る一画。

料亭「花の里」(墨田公園少年野球場近く)の西隣に、周囲は開発が進むなか、木造家屋が奇跡的に残る一画があります。

狭い、曲がりくねった路地が続いています。

かつては、料理屋や旅館でした。

貴重な木造建築です。

参考文献

*1 墨田区[8] 向島方面 1952
・向島芸妓組合の付近に、待合「桝の家」の記載。 ・現在の向島2丁目17−3、待合の記載。 ・現在の向…

向島(待合の建物)当時の意匠が残っています。

向嶋墨堤組合*1 の南側。

待合の建物が当時のままで残っています。

待合らしい細工が施されています。

塀の腰廻り部分に木材を配しています。

向島(交差点の木造家屋)待合だった頃の名残。

向島見番の前の通り。
交差点の角にある古い木造家屋は菓子の「いりむら」です。*1

その隣。料亭「波むら」との間に、待合「桝の家」の建物が残っています。(写真左側)

玄関。

待合だった頃の風情が残っています。

参考文献

*1 墨田区[8] 向島方面 1952
・向島芸妓組合の付近に、待合「桝の家」の記載。 ・現在の向島2丁目17−3、待合の記載。 ・現在の向…

向島(老舗料亭)伝統を受け継いでいます。

向島を代表する老舗料亭の「入舟」。
昭和20年創業。建物は50年前に建てられたものです。*1

通用口。

料亭きよし。
昭和24年開業の老舗料亭です。*2

老舗料亭です。

参考文献

*1 料亭入舟 入舟 ホームページ リンク
昭和20年創業。終戦後の荒廃のなかで初代女将が日本再興に懸命に尽くす企業の方々にたいして一時の憩いの…
*2 料亭きよし 料亭きよし ホームページ リンク
先代、小林たつは大正7年に、玉の井の洋食屋「改進亭」の長女として生まれました。そこは荷風散人ゆかりの…

浅草(猿之助横町のスナック街)長屋風の建物。

猿之助横町の西側(国際通りに近いあたり)は、スナックが密集するエリアです。

長屋風の建物のスナック。

レトロな外観。

酒処まり。

参考文献

*1 佐藤洋一 あの日の浅草 武揚堂 昭和26年から30年代の思い出と出会う : 地図と写真でたどる (地図物語) 2007
あの日の浅草(昭和26年 火災保険地図)
・現在の浅草3丁目30−5に「浅草ニュートルコ」の記載。 ・現在の浅草3丁目40−12。ヘルストロン…

浅草(芸妓屋街)昭和の初期までは、芸妓・待合が集まる一画。

猿之助横町は、昭和の初期までは、芸妓・待合が集まる一画でした。*1

料理屋らしき建物。

国際通り近くにある和風の建物。

ヘルストロンの路地※1 の1本隣り(西側)の風情のある路地。

参考文献

*1 佐藤洋一 あの日の浅草 武揚堂 昭和26年から30年代の思い出と出会う : 地図と写真でたどる (地図物語) 2007
あの日の浅草(昭和26年 火災保険地図)
・現在の浅草3丁目30−5に「浅草ニュートルコ」の記載。 ・現在の浅草3丁目40−12。ヘルストロン…

参考記事

※1 浅草(猿之助横町の路地)麻雀喫茶。テレビゲーム。2019-03-18

浅草(一富士旅館)浅草寺の東隣。手書き看板。

浅草の浅草寺の東隣にある旅館「一富士」。

落ち着いた佇まいの和風旅館です。

白い塀に、一富士の看板。

一富士旅館。

浅草(「浅草ニュートルコ」跡地)現在は、マンション。

今回は、浅草(東京都台東区)の町並みを散歩します。
花街があった浅草三丁目の東側のはずれ。このあたりまでくると、店舗はまばらになります。

昭和26年の火災保険地図*1 によると、この場所に「浅草ニュートルコ」の記載があります。
トルコ風呂と言えば、昭和26年に銀座に開業した「東京温泉」が第1号というのが、定説となっています。※1
これと、時を同じくして、浅草にも開業していたようです。

隣の歯科医院は、当時も同じ場所にありました。*1

現在は、マンションが建っています。

参考文献

*1 佐藤洋一 あの日の浅草 武揚堂 昭和26年から30年代の思い出と出会う : 地図と写真でたどる (地図物語) 2007
あの日の浅草(昭和26年 火災保険地図)
・現在の浅草3丁目30−5に「浅草ニュートルコ」の記載。 ・現在の浅草3丁目40−12。ヘルストロン…

参考記事

※1 銀座(東京温泉跡地)元祖トルコ風呂。延べ1,600坪の建物。2007-10-09

五反田(松の湯)見事な破風の屋根の外観。風呂桶が木製。

西五反田の住宅街。写真の左手は小学校の運動場です。

見事な破風の屋根の外観。大型の建物です。内部は天井が高く開放感があります。風呂桶が木製であることも魅力の一つです。


昔ながらの銭湯です。


短く太い煙突。

五反田(グリルエフ)昭和25年創業の老舗洋食レストラン。

五反田駅前のL字型の路地。※1
昭和25年創業の老舗洋食レストランです。*1

飲食店が建ち並ぶ路地に建つ蔦の絡まる建物。

建物の1階部分はレンガ造り。

ハヤシライスを注文。デミグラスソースの有名店だけあって、味は絶品です。

参考文献

*1 グリルエフ グリルエフ ホームページ リンク
昭和25年、先代が五反田のこの地にフランス料理店として創業。 以来半世紀以上続く、老舗洋食レストラン…

参考記事

※1 五反田(駅前の路地)木製消化器箱があります。2008-03-09

五反田(海喜館)建物の周囲はシートで囲われています。

最近、事件で報道された「海喜館」。
五反田三業の面影を唯一残す旅館の建物です。10年前は、入口も開放されていて、「海喜館」の看板もありました※1 が、現在、入口は閉鎖され、看板も取り外されました。

建物は、老朽化が進んでいます。


建物の周囲はシートで囲われています。

目黒川の対岸から。

五反田(花街跡地)待合が密集していた通り。

五反田花柳界は、三業組合と呼ばれていたた当時までは、盛んであったが、戦後は売春防止法の制定によって、「待合い」に於ける売春の取り締まりと共に、「待合い制度」が廃止され、二業組合に衰退の一途をたどりました。*1

待合が密集していた通り。

現在は、マンションが建ち並ぶ町並みとなっており、花街の名残はありません。

一本南側の通り。この通りにも両側に待合が建ち並んでいました。

参考文献

*1 西五反田一二三町会町会会館三島稲荷神社小史 1982
P.11 五反田花柳界も三業組合と呼んでいた当時までは、何かと盛んな頃もあったが、戦後次第に衰退の一途…
*2 都市整図社 品川区 五反田方面(火災保険特殊地図(戦後分)) 1951
現在の西五反田2丁目 ・待合の、旅館の屋号 現在の東五反田1丁目15の一画。 ・「おかるのみや」…

目黒(花街跡地)現在の商店街に見番がありました。

目黒不動の門前には、関東大震災直後、隣接町村の目覚ましい発展に伴い、花街ができました。主な料理屋は、「角伊勢」と「大国家」で、その他は、待合形式の家がありました。*1
現在の商店街に見番がありました。*2

見番脇の路地を下ったところ。「ちとせ」「一力」がありました。*1

大国家があったあたり。*2

目黒園があったあたり。*2

参考文献

*1 都市整図社 目黒区 下(火災保険特殊地図旧35区 No.33-2) 1935
目黒不動尊周辺に、見番と料亭らしき屋号「大国家」「角伊勢」「目黒園」「ちとせ」「松田家」「一力」の…

北千住(金の湯)内部は昔ながらの銭湯。真っ白の煙突。

足立区千住柳町にある銭湯の金の湯。

外観は、近代的銭湯のように見えますが、内部は昔ながらの銭湯です。

玄関の傘立て。

真っ白の煙突。「金の湯」の文字が目立ちます。

北千住(遊廓跡地の電柱標識)「廓」「廊」「くるわ」。

かつて千住遊廓があった千住柳町。写真の通りの両脇が遊廓地でした。*1
現在は遊廓時代の面影はありません。

唯一の名残とも言える電柱標識。「廓支」と書かれています。

さて、問題の電柱標識はここからです。古いタイプの標識を見ると「廊支」。これまで幾度となく見てきた※1 廊下の「廊」です。正しい「廓」の表記は、上の写真の1本のみで、他の電柱のほとんどがこの「廊」でした。

1本だけあった、いらがなの「くるわ支」。平仮名表記の廓(くるわ)は、初めて見る事例です。

参考文献

*1 五十嵐典彦 「千住柳町」調査報告書(二) 足立区教育委員会 足立史談 第50号 1972.4
千住遊廓の建物配置図 ・大正8年新開地当時 ・大正12年震災直後

参考記事

※1 清水(清水新地遊廓跡地)「廊」と書かれたプレート2011-11-17
※2 大垣(旭遊廓跡地)電柱に「廊」2012-03-27
※3 唐津(西遊廓跡地)廊内2014-01-06

北千住(江戸前「双子鮨」)創業60年の老舗。

今回は、北千住(東京都足立区)の町並みを散歩します。
千住大門商店街は、昔ながらの風情の残る商店街です。

古びた寿司店があります。

ランチは、11:30からラストまで。海鮮丼は600円です。

海鮮丼とビールを注文。味は絶品でした。

西小山(花街跡)西小山花柳界の全盛は昭和10年前後。

今回は、西小山(東京都品川区)の町並みを散歩します。
西小山花柳界の全盛は昭和10年前後で、芸妓は120人がいましがた、太平洋戦争が始まると戦時体制が強化のため、料亭・待合は営業停止となり、戦後再出発しましたが、戦前の勢いは失われていました。*1

料亭「寿づき」があったあたり。

その奥にも料亭がありました。

料亭「小港」「川よし」があったあたり。

参考文献

*1 上村敏彦 東京花街・粋な街 街と暮らし社 2008
立会川沿いにあった西小山花柳界
P.164 西小山花柳界の全盛は昭和10年前後だった。料亭・待合が四十五軒、芸妓置屋が四十二軒、芸妓は芸…
*2 日本住宅地図出版 品川区 1978 ゼンリンの住宅地図 1978
P.34 料亭「桃山」「花川」「鳴門」「小港」「川よし」「寿づき」「幸むら」「正雲閣」「音羽」の記載。

中野新橋(藤神稲荷神社)三業組合寄進の玉垣。

中野区弥生町(中野新橋を流れる神田川の南側)にある藤神稲荷神社。

石碑には、戦前は、夜店等が出て賑やかだったことが書かれています。


中野新橋三業組合寄進の玉垣。

料亭「とんぼ」、料亭「寿楽」*1 でしょうか。

参考文献

*1 上村敏彦 東京花街・粋な街 街と暮らし社 2008
神田川沿いの新花街・中野新橋
P.184-P.186 以前は神田川沿いに紅灯が並び、三味線の音が聞こえていた風情も失われ、現在営業している料…

中野新橋(弁財天)三業組合が信奉。マンション脇。

花街の範囲は本町三丁目の2~11番地までと本町5丁目の2~6番地で、本郷氷川神社手前まででした。*1

本町3-8ー5のカーサアルハムブラマンション脇。

三業組合が信奉した悠池弁天社が建っています。

弁天社。

参考文献

*1 上村敏彦 東京花街・粋な街 街と暮らし社 2008
神田川沿いの新花街・中野新橋
P.184-P.186 以前は神田川沿いに紅灯が並び、三味線の音が聞こえていた風情も失われ、現在営業している料…

中野新橋(料亭「亀太川」)最後まで残った料亭の建物。

神田川の北側(本町3-9)。

最後まで残った料亭「亀太川」の建物があります。*1


玄関付近。


花街らしい雰囲気が塀に残っています。

参考文献

*1 上村敏彦 東京花街・粋な街 街と暮らし社 2008
神田川沿いの新花街・中野新橋
P.184-P.186 以前は神田川沿いに紅灯が並び、三味線の音が聞こえていた風情も失われ、現在営業している料…

中野新橋(三業会館跡地)橋の四隅に立派な擬宝珠。

今回は、中野新橋(東京都中野区)の町並みを散歩します。
神田川に架かる中野新橋は、中野新橋の名前の由来となった橋です。この橋の北側には、三業会館の建物がありました。*1


立派な擬宝珠が橋の四隅にあります。

橋の北側に当時の青銅製の擬宝珠が残されています。案内板によると、擬宝珠は、地下鉄丸の内線が開業した1961年に橋が架けれたときのもので、2011年まで、親橋の頂部に取り付けられていたそうです。

神田川。

参考文献

*1 朝日新聞社会部 神田川 未来社 1982
中野新橋 料亭がマンションに
神田川は中野区の南はずれを横切っている。優雅な名前の橋がいくつも架かる、花見橋、その上流は、桜橋、…

王子(王子花街)俗称「王子新地」。駅前にも料亭が散在。

王子の豊島に指定地(芸妓屋待合)が公許されたのは昭和四年で、「王子新地」の俗称で呼ばれました。しかし、料理屋は、指定地内の他、駅前の代表的料亭「扇屋」、音無橋畔、御殿下に「養老館」、王子稲荷などに散在していました。*1
写真は、料理屋の「君の家」があった場所*2 に建つ食堂。

芸妓屋の浪の家があったあたり。*2

塀横の意匠。

逆方向から。

参考文献

*1 松川二郎 三都花街めぐり 誠文堂 1932
王子 リンク
指定地として芸妓屋待合の公許されたのは極く新しいことで、漸く昭和四年の四月から、王子町大字豊島の俗…
*2 北区 火災保険特殊地図 1953
豊島一丁目に、料亭「若の家」「秋よし」「新よし」「ひら松」「浦島」「お志津」「富久出」「永好」、置…

王子(柳小路)飲み屋街。オールタイム60分3,000円。

王子駅前にある飲み屋街の柳小路。

スナックですが、時間制(オールタイム60分3,000円)のようです。

ひょうたんの意匠の小料理屋。

中央部分の建物が無くなって更地になっています(写真手前部分)が、飲み屋街は、健在です。

王子(さくら新道)数年前に南側半分が火災で焼失。

今回は、王子(東京都北区)の町並みを散歩します。
JR王子駅前のさくら新道は、風情のある長屋の建物が印象的な飲食街でしたが※1、数年前に南側半分が火災で焼失してしまいました。

1階部分はベニヤ板でふさがれていて、ほとんどの店舗が休業している模様です。

南側の建物があった場所は空き地になっています。(写真の手前側)

歌えるスナック。

品川(三業地跡)電柱に三業の名残。現在は住宅地。

かつての品川三業地。※1
写真の通りが三業地の中心部で、芸妓屋の清河、菊の家、冨久家、金吉田、福よし、宇田、由多か、米原、料理屋の菊の家、がありました。*1
現在は住宅地となっていて名残はありません。

唯一、電柱に「三業支」と書かれたプレートを確認することができます。

西側の通り。芸妓屋の梅家、春本、田中、新春本、一富士、料理屋のみかど、根岸、新福がありました。*1

写真奥には、品川の高層ビル。

参考文献

*1 都市整図社 火災保険特殊地図 品川三業地方面 1953
旧品川三丁目(現在の東品川1丁目)の旧三業地に、料亭、置屋の記載。 中央の通り。芸妓屋の清河、菊の…

参考記事

※1 品川(三業地跡)交差点の角に建つ料亭「文の家」の遺構。2019-02-01

品川(三業地跡)交差点の角に建つ料亭「文の家」の遺構。

今回は、品川(東京都品川区)の町並みを散歩します。
品川三業地は、昭和7年に、街道沿いから現在の東品川1丁目の一画に移転し、品川海岸三業株式会社を設立しました。*1

三業地の北側の交差点の角に建つ料亭「文の家」の遺構。*2

当時の雰囲気が残っています。

2階部分。

参考文献

*1 上村敏彦 花街・色街・艶な街 色街編 街と暮らし社 2008
品川遊廓と品川海岸三業地
P.37-P.39 品川三業地の開設 明治中頃から、街道に面して妓楼が並ぶ品川は風紀上の問題もあり、移転先が…
*2 都市整図社 火災保険特殊地図 品川三業地方面 1953
旧品川三丁目(現在の東品川1丁目)の旧三業地に、料亭、置屋の記載。 中央の通り。芸妓屋の清河、菊の…

この記事を参照している記事

品川(三業地跡)電柱に三業の名残。現在は住宅地。

池上(特飲街跡地)1950年に出現した歓楽街。

昭和25年(1950)に池上本門寺前(現池上四丁目)に11軒の歓楽街が出現したことに対し、地元PTAを中心とした反対運動が起こり、全都的な問題に発展。参議院厚生委員会がこれを正式にとりあげるなどした結果、2ヶ月に及んだ反対運動が結実し、業者側は自主的な建設中止に追い込まれました。*1
特飲街があったあたり*2は、現在は住宅街となっています。

その後、特飲街の建物は東京都教職員互助会の所有となり、教員寮となりました。
現在その場所は駐車場になっています。*3

特飲街の東側のエリア。

かつての特飲街の東南の一画。現在は飲食街になっています。

参考文献

*1 大田区史編さん委員会 大田区史 下巻 東京都大田区 1996
池上特飲街建設をめぐって
P.700-P.701 池上特飲街建設をめぐって 事件は、昭和25年(1950)に池上本門寺前(現池上四丁目)に1…
*2 時事通信社 時事通信 (1510) 時事解説版 世論にゆらぐ歓楽街――池上の場合 1950.11
P.2241-P.2242 「池上特飲街付近」に、特飲街の場所の記載。 住宅地域に割り込んできた新しい”湯の街”特…
*3 日本住宅地図出版 大田区北部 1973 ゼンリンの住宅地図 1973.5
P.4 「教員住宅」の記載

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高田馬場(“湯の街”計画跡地)昭和25年、特飲街騒動。
池上(特飲街跡近くの飲食街)雰囲気のある飲み屋小路。

大井町(飲み屋横丁のトイレ)公衆トイレではありません。組合員専用。

大井町の東小路の飲み屋横丁。横丁でよく見かけるトイレがここにもあります。

綺麗に清掃されたトイレ

公衆トイレではなく、組合員専用だそうです。

水を流してください、と書かれた看板。

大井町(飲み屋横丁「東小路」)2本の小路を横に横断する通路。

大井町の東小路の飲み屋横丁。

2本の小路を横に横断する通路。

スナックもあります。

立ち飲み屋チェーンの晩杯屋。

大井町(東小路商店街)周囲は開発が進んでいます。

今回は、大井町の町並みを散歩します。

建物の側面。

隣が空き地になっている一画。

周囲は開発が進んでいます。

吉原(浅草ホテル跡)1993年頃まで営業。

吉原ソープランド街の江戸二通りと角町通りの間の通りに旅館の建物が現在も残っています。

1993年頃までは、「浅草ホテル」として営業していました。*1

2階部分

現在も残る看板。

参考文献

*1 葭之葉会 吉原今昔図 吉原現勢譜 1993

吉原(カツ専門店「日の出」)GHQからの手紙。

千束3丁目にある名物カツ専門店。

昭和の洋食店の雰囲気です。

店内には、先代がホテルの料理人だった頃GHQから頂いた手紙が展示されています(写真上部)。

とんかつライスを注文。

津田沼(鷺沼温泉)ディープな銭湯。朝風呂。