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上野(吉田屋モスリン店)佐竹商店街。入口に竹久夢二の作品。

佐竹商店街(台東3丁目)は、江戸時代に佐竹藩の屋敷があたことから名づけられた商店街で、南北300mに及ぶ長大な商店街です。

商店街にある「吉田屋」。

「モスリン店」※1 の看板が掲げられています。」

竹久夢二の作品。

上野(前田モスリン店)歩道橋から見えるモスリン(織物)の看板。

入谷の交差点。遠くには東京スカイツリーが見えます(写真左奥)。

北上野側の交差点の角のビルの2階部分に、「モスリン店」と書かれています。

 「モスリン(織物)」という呼び名は、毛斯綸紡織(株)(1896(明治29)年設立)の社名※1 や大阪の「モスリン大橋」という橋の名前※2 に使われました。明治時代の殖産興業政策を連想させる呼び名です。

歩道橋から見たモスリン店。

上野(純喫茶「古城」)ステンドグラスが美しい老舗喫茶店。

今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
JR上野駅の東側(東上野三丁目)のビルの地下1階にある純喫茶「古城」。

入口の階段のステンドグラスには、白馬の騎士が描かれています。

店内は、荘厳な雰囲気です。

ココアを注文。

幕張(美容室「ローズ」)「パーマ」大看板のある木造家屋。

京成電鉄幕張駅近くの線路沿い。舗装されていない道の先。

美容室「ローズ」の看板

木造家屋の美容室です。

「パーマ」の大看板は、遠くからでも見えます。

鶯谷(プレイスポット「銀星」跡)屋上看板だけが残っています。

鶯谷駅前の「ダンスホール新世紀」。

隣のビルの屋上に残る「銀星 PLAYSPOT GINSEI」のレトロ大看板。パチンコ店か何かだったのでしょうか。現在、「銀星」の店舗はビル内には見当たりません。

1Fにある歌謡曲カフェ。

鶯谷駅からの遠望。

鶯谷(ラブホテル街)言問い通りの北側。敷地内に祠。

鶯谷のラブホテル街は、駅前の言問い通りの南側が中心ですが、言問い通りの北側にも大規模なホテル街が立地しています。

敷地内に祠のあるラブホテル(写真中央に祠の屋根が見えます。)

メインの通り。

西側には、高層階のホテルが建ち並んでいます。

鶯谷(スナック「シスター」)線路沿いの木造三階建ての建物群。

今回は、鶯谷(東京都台東区)の町並みを散歩します。
鶯谷駅南口の陸橋を渡った線路沿いに、木造三階建ての建物が連なっています。

飲み屋街。

スナックの入口。

シスタービル。

浅草橋(おかず横丁の理美容室)バーバー、パーマの看板。

レトロな建物が残っているおかず横丁。

理容室(バーバー)。

レトロなパーマ屋さん。

交差点の角の赤い建物の美容室。

浅草橋(おかず横丁)昔ながらの商店街。重厚な看板建築。

浅草橋の北側。鳥越1丁目のおかず横丁。

看板建築の商店の建物など、昔の商店街の雰囲気が残っています。

銅板が貼れた重厚な感じの看板建築。

裏側からの眺め。

浅草橋(老舗やきとり店)篠塚稲荷神社の隣。

かつての花街があった柳橋一丁目。

篠塚稲荷神社の隣に、老舗やきとり店があります。

釜めしと焼き鳥。

焼き鳥定食と日本酒を注文。

浅草橋(花柳街跡地)墨田川沿い。現在はビル街に。

かつての柳橋の花街は、墨田川沿いにありました。
「昭和37年の柳橋マップ」*1 によると、この通りの東側(写真左側)に、「料亭深川亭」「料亭子安」「料亭卯の木」「料亭はやし」「料亭津久松」「料亭柳水」がありました。

佃煮屋の「小松屋」のマーク

反対側(南側)から。

墨田川からの遠望。現在はビルが建ち並んでいます。

参考文献

*1 西本頑司 柳橋 花柳界盛衰譚 日本文芸社 荷風!vol.12
P.34 昭和37年の柳橋マップ 墨田川沿いに、北から「料亭深川亭」「料亭子安」「料亭卯の木」「料亭は…

真金町(スナック店)横浜橋交差点の東側の3軒長屋。

今回は、真金町(神奈川県南区)の町並みを散歩します。
横浜橋交差点の東側に。スナックが建ち並ぶ通りがあります。

1軒屋のスナック。

3軒長屋のスナック店。

2軒が並ぶスナック街。

伊勢佐木町(緑のタイルのアパート)親不孝通り裏の路地。

伊勢佐木通りの隣にある親不孝通りは、現在は風俗街となっていますが、その中に古いアパートが残っています。

玄関部分は、黄緑色のタイルで装飾されています。

建物側面のタイル。

黄緑色とピンク。

伊勢佐木町(目的不明のタイルの柱)丸玉石 モザイク。

曙町4丁目の四つ角の古い住宅。

建物の角に目的不明のタイルの柱があります。昔、お風呂場などでよく使われていた丸玉石モザイクのタイプです。

ほぼ正方形の四角柱。

かなりの年数が経過していると思われますが、タイルの輝きは失われていません。

伊勢佐木町(アール形状の庇を持つ建物)赤線建築を彷彿させます。

曙町の親不孝通り。

2階部分がレトロな感じです。

赤線建物を思わせるアール形状の庇。

白い円柱。

伊勢佐木町(伊勢佐木町ブルースの歌碑)ボタンを押すとため息が聞けます。

伊勢佐木町に、青江三奈さんが歌った伊勢佐木町ブルースの歌碑があります。
青江三奈さんは、横浜の「ナイトアンドデイ」というナイトクラブの歌手でした。*1

伊勢佐木町ブルースを歌った青江三奈さんは、当時、森進一さんと並んで、「ため息路線」として大きく売り出されました。*2
歌碑の楽譜には、冒頭の「あ~、あ~」の部分には、「ため息」と記されています。

伊勢佐木町ブルースのおかげで、伊勢佐木町の名は全国に知れわたることになりました。

歌碑の台座のボタンを押すと、内蔵されているスピーカーから、青江三奈さんが歌う伊勢佐木町ブルースが再生されます。
*1

【参考文献】
*1 松葉好市,小田豊二:横浜物語(集英社,2003)P.259-P.260
*2 鈴木則文:日本の映画とロックと歌謡曲(2007)

伊勢佐木町(国際クラブ「三千里」跡)屋上に残る大看板。

今回は、伊勢佐木町(神奈川県横浜市中区)の町並みを散歩します。
伊勢佐木町通りを北西に入った通り。

昼間は閑散としています。

屋上には、国際クラブ「三千里」の大看板。

現在も高級クラブが営業中です。

野毛(ラーメンの店「菊家」)大看板による看板建築?

野毛の中心部(野毛町一丁目)。

ラーメンの店 菊屋。

「看板による看板建築」と言えそうです。

隣に居酒屋「魂屋」。

野毛(小便スルナ)建物の壁に直接手書き。鳥居のマーク。

野毛町2丁目の繁華街。

飲み屋の多い小路です。

建物の壁に直接手書きされた「鳥居のマーク」と「小便スルナ」注意書き。

反対側から。

野毛(動物園通りの飲食ビル)1階部分が飲食横丁。

野毛三丁目は、野毛の中心部からは西側へはずれた場所ですが、動物園通りには、飲食店が建ち並んでいます。

中央部に横丁の入口がある建物。

スナック店が密集するビル小路。

奥行のある建物です。

川崎南町(簡易宿泊所)昭和28年開業。昭和35年には60軒。

旧川崎宿の西端の日新町にある簡易宿泊所(ドヤ街)。

複数の簡易宿泊所が密集しています。

昭和28年に5軒の宿泊所が開業したのが始まりです。昭和35年には60軒になりました。

テレビ付き。

川崎南町(吉の湯)コインシャワー。通路の先が銭湯の入口。

川崎南町の南側、貝塚二丁目の住宅街にある銭湯の「吉の湯」。

2つの建物(左側はコインランドリ)の間の通路の先が銭湯の入口です。

コインシャワー。

銭湯の建物は、道路の東側に面しています。

川崎南町(川崎ロック座)ヌードシアタの看板。

川崎南町の北側の通り。

ストリップの川崎ロック座が営業中です。

レトロな大看板。nudetheater(ヌードシアタ)と書かれています。

建物側面の階段。

川崎南町(「新地」の標識)小土呂新地の名残。

かつて川崎宿の一部だった旧東海道沿いの通り(小川町通り)。この付近は、川崎遊廓があった場所です。
この付近は、小土呂新地と呼ばれ、大正11年には南町と呼ばれるようになりました。
江戸時代より飯盛女を抱えた旅籠屋は、風紀上問題が多く、明治35年、この地に移されました。

近くには「新地支」と書かれた電柱標識があります。

旧東海道から南へ入った場所にある南町公園。

ここにも「新地支」のプレートがあります。

参考文献

*1 日本地名研究所 川崎の町名 川崎市 1991
南町
新川堀と旧東海道、それにドブと呼ばれた用水に囲まれた三角形の耕地が大正初期の耕地図で確認されます。…

参考記事

※1 川崎南町(小土呂橋親柱)交差点、バス停に小土呂の名。2020-01-16

川崎南町(名画通り)路地にまっすぐに伸びる側溝。

今回は、川崎南町(神奈川県川崎市川崎区)の町並みを散歩します。
チネチッタの東側にある商店街の名画通り。飲食店が建ち並ぶまっすぐな小路があります。

「名画通り商店会」の看板。

和風の飲食店。

まっすぐに伸びる側溝。

信濃町(権田原公衆便所)かつてのハッテンバ第一エリア。

権田原バス停の近く。

権田原のハッテンバの第一エリアだった公衆トイレは、最近リニューアルされたようです。

権田原の地名を冠した公衆便所です。

JR信濃町駅前の歩道橋から、権田原公衆便所方面への遠望。

信濃町(権田原の小公園)消滅したハッテンバ。

JR信濃町駅を下車し、外苑東通りを南へ進むと、「権田原(ごんだわら)」の交差点があります。交差点の角には交番があって、交差点の北東側に、明治記念館。南東側に東宮御所、西側に明治神宮外苑が立地しています。

かつて、このエリアは、「権田原」という名のハッテンバでした。ハッテンバとは、ある一定の場とか施設が時間帯によってその機能を変質させられ、男性の同性愛者の性行動をうながす場となっているところを指しています。そこは、公園であり、公衆便所なのですが、夜になるとどこからともなく集まってくる男たちによって、開放的な性行動の場に変質させられました。権田原のハンテンバのエリアは、第一エリアから第三エリアと呼ばれる三ヶ所があって、その最盛期は、1961年から1971年までの10年間でした。第一エリアは、権田原バス停近くの公衆便所、第二エリアは、明治神宮外苑の森の入口の公衆便所で、第三エリアは、第二エリアの南側の前方の小公園でした。*1

1964年、東京オリンピック開催のため、第一エリア周辺が道路整備事業の対象区域となると、人々は向かい側の第二エリアに移動しました。やがて第二エリアも柵がめぐらされ、入口が閉ざされてしまうと、人々は第三エリアに移動しました。
ところが、第三エリアに隣接した都営住宅の住民の騒音拒否運動の抵抗にあい、住民の都への働きかけによって、東京都公園管理事務所は、夜間は閉門の措置をとったため、権田原のハッテンバは消滅しました。*1

現在も、そのためか、夕方16:30以降、公園の門は閉ざされます。

【参考文献】
*1 現代風俗研究会:現代遺跡・現代風俗91(リブロポート,1990)P.168-P.175

信濃町(カレー店「JUNE」)味の名店街の名店。

信濃町駅前の駅ビルの「味の名店街」には、歴史のある飲食店が集まっています。

地下1階の老舗カレー店。

メニューは、ポークカレー(並、中、大)のみです。

カレー(大)とビールを注文。キャベツは食べ放題です。

信濃町(味の名店街)レトロ感漂う駅前ビルの地下。

今回は、信濃町(東京都新宿区)の町並みを散歩します。
信濃町駅北口にそびえるトーシン信濃町駅前ビル。

1階には、レトロ感漂う名店街の入口があります。

「地下街入口」の看板

飲食店の名店の名が並びます。

下館(松の湯)入口部分に唐破風のようにデザインされた庇。

羽黒神社の東側の住宅街。レトロな食堂がある通りです。

銭湯の松の湯。
本格的な宮型銭湯とは言えませんが、入口部分に唐破風のようにデザインされた庇。

現在は休業中のようです。

煙突。

下館(稲荷町のスナック店)趣きのある看板建築。

稲荷町の旧花街。料亭があった通り(写真奥)※1から路地を入ったところ。

趣きのある建物。

看板建築です。

従業員募集の貼り紙

長崎丸山(よこはま)思案橋横丁の老舗ちゃんぽん店。

長崎市街の思案橋横丁※1 にある中華レストラン「よこはま」。

創業60年だそうです(店の看板より)。 

長崎チャンポンは、明治時代、長崎に住んでいた中国人たちによって作られ、中国からの留学生たちに栄養がありしかもボリュームもあるので大変喜ばれていました。その後、長崎ならではの新鮮な山海の幸と工夫が加えられて、長崎中に広まり、長崎の郷土料理として育ちました。※1

「よこはま」のネオン塔。

参考文献

*1 中華レストランよこはま 中華レストランよこはま ホームページ リンク
麺とスープに多彩な具がしっとりと溶けあった 味わいは、まさに絶品! 長崎名物よこはま特製チャンポン…

参考記事

※1 長崎丸山(思案橋横丁)ネオンが煌めく通り。2013-11-10

長崎丸山(シバヤンジ通り)当時の人は「芝居小屋の地」を「シバヤンジ」と呼んでいました。

銅座町の繁華街に、「シバヤンジ通り」と名付けられた飲み屋の路地があります。
銅座付近には以前、芝居小屋が点在しており、当時の人は「芝居小屋の地」を「シバヤンジ」と呼んでいたそうです(案内看板より)。

路地はL字型に曲がって続いています。

反対側(西側)から。

夜の様子(上の写真と同じ場所)。

長崎丸山(銅座市場跡)現在は取り壊されています。

数年前まで、この付近にあった銅座市場は、現在は解体され、市場の下の動座川が見える景観になっています。

川の両脇の建物は残されたままです。

銅座川。

逆方向から。

長崎戸町(理容室)調髪館。入口に、斜めの取っ手。

遊廓街だった戸町一丁目の通りにある理容室。

「調髪館」と書かれています。

入口のドアには取っ手が斜め取り付けられています。

水色の窓枠。

上野(キムチ横丁のトイレ)中国語の貼り紙。

キムチ横丁※1 の中央。通路が交差するあたりに公衆トイレがあります。

広々としたトイレ。

男子小便器の中国語の貼り紙。漢字から、だいたい意味は想像がつきます。

「文明にとっては大きな一歩だ。」

上野(キムチ横丁の通路)ディープな雰囲気の通路。

東上野2丁目の「キムチ横丁」と呼ばれるコリアンタウン。※1
2棟の建物の間が生活通路になっています(南側より)。

ディープな雰囲気の通路。

逆方向から。

横丁の中央部。通路が交差するあたりに公衆トイレがあります。

板橋(プラザ板橋)1階はL字型の飲食街。

JR板橋駅の北西側は飲食ビルが密集する繁華街です。

1階が飲食街の入口になっているビル。

通路はL字型になっていて続いています。

反対側の出口。

板橋(坂下マーケット)ゲートだけが残っています。

坂下1丁目交差点の北東にある「坂下マーケット」。看板に書かれている通り、かつては、精肉、鮮魚、青果、食料品、酒類、蒲鉾、菓子類の店が並ぶマーケットだったようです。現在は、入口付近の精肉店とリサイクルショップが営業中です。

マーケットの中央の通路。

かつての鮮魚店の名残。

反対方向(北東側)の入口。マーケットはL字型になっています。

板橋(トンネルマーケット)立喰いそば屋脇のトンネル。

都営三田線の志村坂上駅で下車。城山通りを100mほど進んだところにある1階に立喰いそば屋のビル。

立喰いそば屋脇に、通称「トンネルマーケット」と呼ばれる商店街があります。

ビルの1階の商店街は、さらに奥のビルへと続いています。

いつくかの連なったビルの1階が長い商店街になっています。

白山(まるや肉店)揚げたての菊坂コロッケ。

菊坂の商店街。

コロッケで有名な「まるや肉店」。散歩をしていると、コロッケだ食べたくなります。

揚げたての「菊坂コロッケ」は120円。たくさん並んでいます。

菊坂コロッケ2個とハムカツ1枚を購入。

下北沢(石川湯)マンションの建物の1階。

小田急線の東北沢駅近くにある煙突のあるビル。

マンションの建物の1階は銭湯の石川湯です。

入口。

風情のある暖簾。

下北沢(スナック街)鈴なり横丁の北側の一画。

鈴なり横丁(写真右手前)の北側の一画。写真左側は茶沢通り。

1階は飲食店、2階が居住スペースです。

スナック店。

茶沢通りに面したスナック店。

下北沢(鈴なり横丁)「演劇の街」の象徴。

「演劇の街」下北沢を象徴する鈴なり横丁。

鈴なり横丁(ザ・スズナリ)は、1969年(昭和44年)築、木造二階建ての”鈴なり横丁”は一階が飲み屋、二階がアパートという造りで、そこにさらに劇場が造りこまれました。*1

横丁の内部

1階の飲食街。

参考文献

*1 ザ・スズナリ ザ・スズナリ ホームページ リンク
1981年 上演の軌跡 1981年、ザ・スズナリは本多によって、グループ内、初の劇場として下北沢の地に開場…

登戸(手打ちそば「更科」)燗酒が飲める店。

登戸駅前の商店街※1 にある老舗蕎麦店「更科」。

昭和29年創業で、2011年3月に店内改装しました。*1

窓には、日本酒の瓶が並べられています。「お燗酒が飲める店」。

天ぷらそばとビールを注文。

登戸(駅前商店街)居酒屋とフィリピンパブ。

今回は、登戸(神奈川県川崎市)の町並みを散歩します。
登戸駅周辺は、現在、西口側を中心に再開発が進められています。写真の南口周辺には昔ながらの商店街が残っています。

古い木造家屋の建物も残っています。

北側へ回り込んだところに連なる看板建築。

居酒屋とフィリピンパブ。

町田(大蔵湯)昭和四十一年創業。町田で一番歴史ある銭湯。

横浜線古淵駅から徒歩約10分。
昭和四十一年創業、町田で一番歴史ある銭湯です。*1

昔ながらの銭湯の風情のある煙突。

平成二十八年十二月、リニューアルオープンしたそうです。*1

銭湯でありながら、スーパー銭湯のような近代的設備です。

町田(ラーメン屋七面)昔ながらの東京ラーメン。

仲見世商店街※1 の奥まったところにある、ラーメン「七面」。

レトロな看板。

昔ながらの東京ラーメンです。

塩ラーメン(大盛)とビールを注文。

町田(仲見世商店街)西のアメ横とよばれています。

町田名物の仲見世商店街。

「西のアメ横」と呼ばれています。

生鮮品も充実しています。

反対側の出口。

船橋(松の湯)工場を思わせるような建物。

船橋市本町3丁目(京成船橋駅と大神宮下駅の中間あたり)に、銭湯の松の湯があります。

何かの工場を思わせるような建物。

煙突も大型です。

入口。

佐原(柳湯)かつての花街の銭湯。砂利道の入口。

かつて花街だった佐原信用金庫前の通り。銭湯の煙突が見えます(写真左奥)。

銭湯の入口は、砂利道の路地です。

洗濯機が並ぶ向こう側が玄関です。

銭湯の玄関。

佐原(花街の裏通りの飲食街)小料理屋。焼肉会館。

かつての花街だった通り※1 の裏道を入ると飲食店街になっています。

春の家。

小料理屋。

焼肉会館の通りをさらに先へ進むと、小野川沿いの「カメラの三越」※2の前へ出ます。

佐原(カメラの三越)3階建て。天体望遠鏡。

佐原の小野川沿いは、小江戸の風情を感じる町並みが残り、観光客にも人気のあるスポットです。その中で、3階の「カメラの三越」が異彩を放っています。

現在は、休業中です。

写真左奥は、観光スポットの町並みです。

建物の左上に取り付けられている看板。
天体望遠鏡や双眼鏡は、当時の主力商品だったようです。

佐原(古風な理容室)見番があった通り。白い窓枠。

佐原市街の東薫酒造の工場(写真左側)の西側の通り。

通りのつきあたりに、古風な理容室があります。

1階部分は水色。窓枠は白く塗られています。

地元の方の話によると、かつて、この通りの先には、花柳界の見番がありました(「駅前の看板に書かれていた二業組合とは、時代が異なるのでは」との話)。

佐原(金平湯)青色のタイル。現在は、「まちぐるみ博物館」。

佐原市街にある金平湯。

住宅街の中にあります。

現在は、「まちぐるみ博物館」として利用されています。

鮮やかな青色のタイル

成田(フルヤ牛乳の牛乳箱)ピンクと水色の水玉模様。

JR成田線滑河駅前の商店街。

フルヤ牛乳の牛乳箱。
古谷乳業(株)は、昭和20年創業。千葉市に本社を置く乳業メーカーです。*1

ピンクと水色の水玉模様が特徴です。

箱の保存状態は良好です。

参考文献

*1 古屋乳業 フルヤ乳業 ホームページ リンク
フルヤ乳業は昭和20年、千葉県山武郡成東町にて創業以来、70年に渡って、安全で美味しい牛乳にこだわ…

成田(花崎町の飲み屋街)丸窓のお宅。小料理屋の看板。

赤線があったとされる花崎町の飲み屋街。※1

かすかに残る小料理屋の看板。

玄関脇に丸窓が二つ。

現在も原型をとどめています。

成田(「お食事処東洋」)パブ.スナック。

JR成田駅から、「成田山近道」の坂道を下っていくと、和食店があります。
「赤線跡を歩く」に、「その先がカフェー街があった場所らしい。」と紹介されている「坂道を下ったところにある古風なバー」。

道路に面した側が正面です。入り口があります。「お食事処東洋」と書いてあります。

路地に面した側は、スナックになっています。店の名は「パブ.スナック東洋」となっています。書いて斜め取ってのドアがあり、まるで赤線建築を思わせるようなデザインです。

「パブ.スナック東洋」の看板。

下総中山(桔梗湯)クラブのような佇まい。

JR下総中山駅南口から100mの場所にある桔梗湯。

まるで、高級クラブのような佇まいです。

残念ながら、つい先日閉店したとのことです。

桔梗の紋。

船橋(紅梅湯)国道沿い。大型の建物に高い煙突。

国道14号線沿いにある銭湯の紅梅湯。

大型の建物に高い煙突が特徴です。

入口。

隣には、マンションの建物(写真左上)が迫っています。

船橋(仲通り商店会)Y字路の商店街。

船橋市本町四丁目にある仲通り商店会。東側の入口に立派なゲートがあります。

少し行くと、Y字路があって、商店街は二股に分かれています。

Y字路の北側の通り。人気の大衆酒場があります。

南側の通り。

船橋(花生食堂)渋い外観に圧倒されます。

京成船橋駅近くの商店街(写真左奥に見えるのは京成線のガード)。このあたりまでくると人通りが多くなります。

渋い外観に圧倒されます。

奇跡的に残っている昭和の風景です。

親子丼とビールを注文。

船橋(旅館「妙泉」跡)海老川沿いの住宅街。

船橋市の海老川沿いの住宅街。このあたりは、道幅の狭い昔ながらの路地が残っています。

立派な門構えの家。

木が生い茂る中に残る「旅館妙泉」の看板。

裏口付近。

船橋(宮の湯)片持ちの外階段を持つ3階建てのビル。

船橋駅の東(京成大神宮下駅近く)にあるビル銭湯の宮の湯。

片持ちの外階段を持つ3階建てのビルです。

1階に、コインランドリーが併設されています。

宮の湯の煙突。

千葉(喜代の湯)「東千葉入口」交差点。

JR総武本線の東千葉駅から、約100m。「東千葉入口」交差点のとろこに、銭湯の喜代の湯があります。千葉市近郊では、数少ないレトロ銭湯です。

入口脇にはコインランドリーが併設されています。

隣接する駐車場からの遠望。

煙突。

千葉(院内のスナック街)3階建ての建物。

3階建ての建物。

前面がピンク色のスナック。アパートのような奥行のある建物です。

上の写真の建物の左側。小さな路地になっています。

千葉(栄町のスナック長屋)3階建ての木造建築。

栄町の歓楽街の東側の一画。Y字路に沿ってスナックが建ち並んでいます。

3階建ての木造建築。

角を曲がるとさらにスナック店舗が続いています。

建物の間の小路。

上野(アメ横センター地下食品街)日本の中の異国。

上野、アメ横の中心部のY字路に建つ「アメ横センタービル」。
当時の国鉄が東北、上越の新幹線実施計画に伴って、変電所が移転となり、その空き場所に建設されたものです。*1

地下1階は、アジア各国の食材が並ぶ食品街になっています。

中国語が飛び交う、まるで異国のような場所です。

魚の名前は解りませんが、大きな鯛のような魚が1匹600円で売られていました。

参考文献

*1 塩満一 アメ横三十五年の激史 東京稿房出版 1982
第1章 変貌するアメ横
P.7-P.10 (二)アメ横俯瞰図 アメ横問屋街連合会 アメ横商店街は、17支部からなる連合商店街で、こ…

上野(アメ横)高架線下の商店街。舶来品の殿堂。

上野四丁目に位置する通称“アメ横”は、上野駅と御徒町駅とを結ぶ高架線下500メートルの商店街とアメ横本通りをはさむ西側商店街の集合体です。*1

朝鮮戦争の頃、米兵がアメ横に横流し物資を持ち込んできたこをきっかけに、昭和32年頃になると、南京虫(腕時計)、ライカ(カメラ)、ロンソン・ライター、パーカー万年筆、すべて、アメ横にいったん入荷されて、それから国内の各地に卸されてから市販されました。*2

その後、アメ横は、“舶来の殿堂”などと看板を掲げて外国製品のメッカとなりました。*2

アメ横は、大量に現金で仕入れ、国内に卸す問屋であると同時に、小売り店でもあるというところに、市価より常に3~4割が安く販売することができました。

参考文献

*1 塩満一 アメ横三十五年の激史 東京稿房出版 1982
第1章 変貌するアメ横
P.7-P.10 (二)アメ横俯瞰図 アメ横問屋街連合会 アメ横商店街は、17支部からなる連合商店街で、こ…
*2 塩満一 アメ横三十五年の激史 東京稿房出版 1982
第5章 ヤミ市から脱皮
(一)ガード下にマーケット建設 P.248-P.250 引揚者だからと言って、いつまでも青天井では、どう仕よう…

上野(オオクラ劇場)特選劇場はオールナイト営業。

今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
上野の動物園通り脇の細い道を入った奥にあるオオクラ劇場(写真奥は不忍池)。

以前は道路に面した場所※1 にありましたが、現在はこの場所に移転しています。

この日は、午後3時から舞台挨拶が予定されています。

2階の特選劇場はオールナイト(朝4時半まで)営業です。

池袋(ロサ会館)昭和43年に竣工した娯楽ビル。

西池袋に建つロサ会館は、昭和43年に竣工した娯楽ビルです。*1

ロサはスペイン語で「薔薇」という意味です。*1

開業当初、1階にゲームセンター、5階までほぼ飲食店で埋まり、6階と7階に池袋ロサボウルが運営されました。*1

開業当時、四階以下は亀甲型のアルキャストパネルを使用し、ゴールド・シルバー・アイボリー系を主調とし、娯楽センターにふさわしい派手さと豪華さを表現しました。その後、1989年、ロサンゼルスのピンク色の建物に感銘を受けた現社長の伊部季顕が、ピンク色に染めようと発想し、現在に至っています。*1

参考文献

*1 伊部知顕 戦後池袋の娯楽文化とロサ会館 立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター 大衆文化 (15) 2016.12
P.2-P.5 伊部禧作は、昭和21年(1946年)、映画館(今のシネマ・ロサ(ロサはスペイン語で「薔薇」)を…

池袋(激安居酒屋)食券にテーブル番号を書きます。

池袋駅北口前の2階に珈琲「伯爵」が入るビル。

地下1階に24時間営業の居酒屋があります。3杯券、5杯券など、とにかく飲み物が安いのが特徴です。

えだまめ250円など、つまみも安価です。

食券を買って、それにテーブル番号を書いて注文カウンターへ持っていくのがルールです。
ホッピーセットと枝豆、そして、人気メニューのかけそば(200円)を頂きました。

池袋(シネロマン池袋)通り沿いにある老舗成人映画館。

池袋駅北口を出て通り沿いにある地得ビル。

1階にある老舗映画館の「シネロマン池袋」。

都内では数少なくなった、成人映画館です。

映画館の入口。

浅草橋(エリザベス会館)住宅街野中の老舗女装サロン。

浅草橋駅北側の路地。閑静な住宅街です。

老舗の女装サロン「エリザベス」。

ビルの外観。

営業中の看板。

銀座(名店「三州屋銀座店」)1968年創業の老舗割烹。

銀座2丁目の並木通りにある細い路地の突き当りに、名店「三州屋銀座店」があります。奥まった場所にあるから昼から呑むには都合がいいそうです。*1

1968年創業の老舗割烹です。*1

名物は鳥豆腐、カキフライなど。*1

店の入口から、路地を振り返ったところ。

参考文献

*1 ぴあ 東京昼酒場100 せっかく酔うなら昼間から…
P.21 1968年創業。モダンに移り変わる銀座の片隅で変わらぬ味わいが魅力の老舗割烹。 銀座並木通りにあ…

銀座(金春小路)かつては置屋や待合が並ぶ花街。

かつて、置屋や待合が並ぶ花街だった銀座8丁目の金春通り。近くには、銭湯の金春湯もあります。※1
金春小路(こんぱるこうじ)と書かれた小さな看板。

小路の入口は非常に小さく目立ちません。

かつての花街の路地は、現在はバーやクラグが引き継ぐ夜の街の路地となっています。*1

L字型の路地はさらに奥へ続き、反対側の通りへ出ます。

参考文献

*1 岡本哲志 銀座を歩く 学芸出版社 江戸とモダンの歴史体験 2009
花街の路地を巡る 銀座八丁目
P.164-P.167 煉瓦街からはじまる銀座の路地の歴史は、戦後、空地に短いI型の路地を通し、両側に飲食店を…

参考記事

※1 銀座(金春湯)文久3年開業の歴史ある銭湯です。2007-10-11

銀座(路地の中の自動ドア)通り抜けできます。

銀座七丁目の豊岩稲荷※1 から煉瓦街時代のI型路地をさらに北へ向かいます。

突如、現れる自動ドア。

自動ドアには「通り抜けできます。」と書かれてあります。ドアを開けて中へ入ると喫茶店の店内に通じていて、その奥にまた自動ドアがあります。

銀座グリーン97のビル内に作られた銀座通りから裏通りに抜ける短いⅠ型路地。写真の左右方向に自動ドアあがあって、豊岩稲荷から続く古いI型路地と交差します。

参考文献

*1 岡本哲志 銀座を歩く 学芸出版社 江戸とモダンの歴史体験 2009
現代と向き合う路地
P.44 銀座グリーン97という緑色の外装のビルには、銀座通りから裏通りに抜ける短いⅠ型路地が設けられた…

参考記事

※1 銀座(豊岩稲荷)130年以上前の銀座煉瓦街時代の名残。2019-06-11

銀座(三愛ビル)1963年開業の銀座のランドマーク。

1963年開業の三愛ドリームセンターは、現在も銀座のランドマークとして君臨しています。

2階の喫茶店の窓際席からは、銀座の景色を楽しめます。

3階のビルからは下着姿の女性が交差点を見下ろしています。

2階の喫茶店からの眺める銀座の風景。

銀座(三原小路隣の袋小路)2階建ての長屋形式の店舗。

今回は、銀座(東京都中央区)の町並みを散歩します。
三原小路近くに今も奇跡的に残る袋小路があります。
明治の終わりころ、この付近には、質商「江島屋」が所有する大規模な土地がありましたが、質商は、農地解放とともに施工された戦後の財産税でことどとく土地を失い、この路地が誕生しました。*1

半世紀ほど時間が巻き戻ったようなゲート状の看板。*1

袋小路になった路地。

2階建ての長屋形式の店舗。周囲のビルとの景観のギャップの大きさには感動します。

参考文献

*1 岡本哲志 銀座を歩く 学芸出版社 江戸とモダンの歴史体験 2009
裏通りと路地が呼応し、空間が息づく 銀座五丁目東側
P.61 明治の終わりころ、現在のあづま通りと三原通りの間のブロックには、質商「江島屋」の田村藤兵衛が…

日本橋(老舗カレー店)開業50周年

東京駅八重洲地下街にあるカレー店。
店内の張り紙によると、今年で開業50周年だそうです。

東京駅で290円は驚愕です。

人気No.1はチキンカツカレーだそうです。

チキンカツカレーを注文。
スプーンは、昔の学校給食ではお馴染みの、先端がフォーク状になっている先割れスプーンです。

高田馬場(国旗掲揚塔)1964年東京オリンピック記念。

早稲田通りの馬場口交差点から南へ折れ、階段になっている歩道を上り切ったところにある馬のモニュメント。

馬のモニュメントの先に、国旗掲揚塔が鎮座しています。

諏訪町会国旗掲揚塔。1964年(昭和39年)の東京オリンピック東京大会を記念して建てられたものです、日付は10月24日となっています。
千駄ヶ谷で見かけた国旗掲揚塔※1と同じく、町内会が建てたものです。

国旗掲揚塔から北側。写真左奥が「馬のモニュメント」です。

日本橋(理容室跡)木々が生い茂る中のサインポール。

八重洲一丁目の繁華街。

ビルの谷間の木々が生い茂る中に、理容室のサインポールだけが置き去りになっています。

隣は雀荘が密集する路地。※1

現在、1階は喫茶店ですが、以前は理容室だったのかもしれません。

日本橋(雀荘)オフィス街の中に10軒近く。

日本橋は、近隣にオフィス街が多いためでしょうか。とにかく雀荘の多さは群を抜いています。

レトロな看板。

空卓/満卓の看板。ホテルのようです。

狭い路地の奥にある麻雀クラブ。

小岩(吉野湯)昔ながらの銭湯。立派な格子天井。

JR小岩駅から北へ徒歩約10分。昔ながらの銭湯の吉野湯があります。

南側の駐車場から見た建物。

入口。

脱衣場の格子天井。立派です。

小岩(駅裏のホテル街)昭和レトロなホテルが建ち並んでいます。

JR小岩駅の北側の路地。

お城。

昭和レトロなホテルが建ち並んでいます。

ホテルの隣に質屋。※1

北千住(毎日通り飲食店街)L字型の飲食街。

宿場町通り(旧日光街道)をあるいていると右手に、「毎日通り飲食店」の看板が目に入ります。

居酒屋やスナックが連なる小路です。

近隣には高層ビルが建っていますが、奇跡的に昭和の姿を留めています。

小路はL字型になっていて、北側の道路に通じています。

北千住(中川屋本店)老舗蕎麦店のなべ焼きうどん。

北千住駅前から宿場町通り(旧日光街道)を北へ300mほど進んだあたり。

老舗蕎麦店の「中川屋本店」。

店内には、メニューの張り紙がぎっしり。蕎麦屋なのに、なべ焼きうどんのメニューが目立っています(写真、左側)。

もつ鍋うどんと日本酒を注文。

北千住(牛乳配給所)木製の切り文字とエンゼルマーク。

北千住駅前の商店街に残る牛乳店の建物。

エンゼルマーク。

古い建物で見かける木製の切文字。


「配給」の右側が欠けていますが、おそらく「配給所」と書かれていたのだと思います。
「牛乳配給事業」は、大正末期から昭和初期にかけて東京市で実施され、牛乳を無償で配給することが特徴でした。*1

参考文献

*1 野口穂高 乳の学術連合 学術連合の研究データベース 乳の学術連合 大正末期から昭和初期の東京市における「牛乳配給事業」の研究 -「身体虚弱児童」への対応を中心に 2015 リンク
概要 東京市による牛乳配給事業と児童保護事業に、以下の特徴があることが明らかになった。第一に、乳幼…

北千住(駅前の路地)幅の狭い路地に、店舗が密集。

北千住駅前の商店街。立呑み屋の有名店の隣に、飲食店の看板のある路地の入口があります。

道幅の狭い路地に、店舗が密集しています。

何度も出てくる曲がり角。

スナック。

小岩(駅裏の商店街)小さな小島のような一画。

今回は、小岩(東京都江戸川区)の町並みを散歩します。
小岩駅南口の駅裏の商店街。飲食店の古い建物が連なっています。

JRの高架と商店街に囲まれ、小さな小島のような一画を形成しています。写真は商店街の北端(右側はJR総武線の高架)。

商店街の裏側(JR側)は、時代を感じさせる風景が残っています。

密集している建物の中には、3階建てものもあります。

北千住(三階建て家屋)1階には多数の張り紙。

北千住の駅前商店街※1 に、ひときわ目立つ三階建ての木造家屋。

1階には、多数の張り紙。

3階部分は見晴台のような高い場所にあります。

奇抜なデザインのバーの建物が隣接しています。

北千住(商業ビルの通路)1階部分に数か所。日常的な通路。

北千住駅前の商業ビル※1 はいくつかの棟が連結された構造になっていますが、棟と棟の間の隙間の1階部分が駅側と商店街側を結ぶ通路になっています。

地元の方々の日常的な通路になっているようです。

通路は数か所あります。

ビルの入り口と隣り合わせの通路。黄色で統一されています。