西二条通り(平原通り)を北へ進み、帯広川を渡ったあたりに、帯廣大明神があります。この西側に木賊原(とくさわら)遊廓がありました。*1
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木賊原遊廓は、明治31年に許可され、明治36年には貸座敷5軒を数えるに至りました。場所は、北四条西六丁目のあたりだったとされています。*2
現在、この付近は、住宅街になっています。
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大正11年の帯広市街全図*3 を見ると、北四条を流れる伏古別川(十勝川の支流)がJ字形のカーブを描いて流れる北四条のあたり(地図の右上)に「遊」、「廓」の二文字が記されています。
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伏古別川が、十勝川と合流する地点(遊廓があったと思われる場所の北側)に、木賊原(とくさわら)樋門があります。木賊原の名が残る場所の一つです。
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【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く 完結編(自由国民社,2007)P.45
*2 帯広市史編纂委員会:帯広の生い立ち(帯広市史編纂委員会,1952)P. 98
【参考URL】
*3 帯広市図書館ホームページ 帯広市街全図(大正11年)