紺屋町の遊廓は、明治7年に設置が認められ、大正10年には、遊廓が19軒、料亭が20軒となり、活況を呈しました。戦後は特殊飲食店地区となり、昭和32年の売春防止法施行により転廃業しました。*1
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201001/16/51/e0073751_1619580.jpg?w=450&h=300)
「黄金」は、八代で唯一の遊廓建築の遺構で、建設年は明治期と考えられています。*1
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201001/16/51/e0073751_1619116.jpg?w=450&h=300)
軒下の透かし彫り。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201001/16/51/e0073751_16191720.jpg?w=450&h=300)
建物の西側。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201001/16/51/e0073751_16192364.jpg?w=450&h=300)
【参考文献】
*1 田島 秀一:日本建築学会研究報告九州支部研究報告P.689-P.692「八代紺屋町の遊郭建築「黄金」について」
紺屋町の遊廓は、明治7年に設置が認められ、大正10年には、遊廓が19軒、料亭が20軒となり、活況を呈しました。戦後は特殊飲食店地区となり、昭和32年の売春防止法施行により転廃業しました。*1
「黄金」は、八代で唯一の遊廓建築の遺構で、建設年は明治期と考えられています。*1
軒下の透かし彫り。
建物の西側。
【参考文献】
*1 田島 秀一:日本建築学会研究報告九州支部研究報告P.689-P.692「八代紺屋町の遊郭建築「黄金」について」