赤坂には、多くのキャバレーが存在しました。昭和の中頃、料亭と芸妓の減少は、同時にキャバレーやクラブの増加を意味していました。世界第一と言われたキャバレー「ミカド」は隆盛時の昭和50年中期には500人のホステスを抱え、しかもいずれも若く美人揃いでした。「美人を見たければ、夕方出勤時の赤坂ミカドの楽屋口に立て」と言われたほどに、若く美しい女性がミカドに集まりました。*1
キャバレー「ミカド」は、昭和60年に閉店し、現在は商業ビルになっています。
キャバレー「CABANA」があった付近。手前には、旧料亭の「浅田」がありました。*1
ディスコ「ムゲン」は、日本で最初のディスコとして昭和43年にオープンしました。店の前には、ローマから運んだ2体の石造が立っていて赤坂の名物となっていました。*1
「ムゲン」は、ゴーゴーダンス、モンキーダンスのメッカとなり、いい女はここで踊るのが定番となりました。客層も芸能人だけでなく、三島由紀夫、川端康成などの文化人も来訪していました。「ムゲン」は、昭和62年に幕を閉じました。*2
【参考文献】
*1 松沢光雄:繁華街を歩く東京編(綜合ユニコム,1986)P.171-P.195
*2 本橋信宏:60年代郷愁の東京(主婦の友社,2010)P.133-P.141
「赤坂(キャバレー、クラブ跡)現在は閉店しています。」への6件の返信
今から40年以上前、独身時代 勤め人なのに身銭をきって「ミカド」通いました。ある年のクリスマス値切って45,000円に負けてもらった記憶があります。
「五月みどりの部屋」では隣席にいた漫才「やすきよ」のやすさん相手に一緒に飲みに入ったやつが喧嘩したり、30年ほど前は「ラビアンローズ」、また、文章にある旧料亭「あさだ」で食べた鰻重など日本料理が一人120,000円には目玉ひん剥きました。ほかのスナックやクラブでは元横綱の輪島さんや千代の富士関、大関朝潮さんなど楽しい思い出ですが、今思えばバカだったなと、でも赤坂は17才の時初めていって以来私にとって特別なところでした。
デイシさん、赤坂での豪遊の想い出、ありがとうございます。
赤坂は有名人が集まる場所だったのですね。お相撲さんも通っていたとは初耳でした。
1965年~お勤しておりました。
TBSが近かったので大物タレントさんは連日来店しておりました。
当時の総理大臣中曽根様も秘書の方ご同伴で御出でに成っていました。
萩〇〇〇さん:北〇〇〇さん:有名な大手の会社の会長さん:社長さん
他にも数え切れない程多くご来店下さった方々の御芳名は書切れません。
ウエイターさん達も今で言うイケメン君ばかりでした。
控室の横の社員食堂が安くとても美味しかった。小浪さん元気でした。
640王さん、
有名人ばかり、懐かしいお話ありがとうございます。
社員食堂が完備されていて、十分に食べれることが約束された職場環境だったようですね。
同じキャバでも今のキャバクラとは比べものにならないくらい、豪華で贅沢な社交場。こういう大人の社交場が減ったよな、今の世の中。古き良き時代の語り草だね。
赤坂ミカドかぁ
週3回は行ってダンス踊り、女優の卵と会っていい人生を送りました。
閉店後ミカドの名で小さいクラブもありましたねー