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堀江(和光寺)花魁銀杏

今回は、堀江(大阪市西区)の町並みと風俗を散歩します。
堀江の地は、かつては、東を西横堀川(埋立。阪神高速1号環状線北行き)、西を木津川、南を道頓堀川(西道頓堀川)、北を長堀川(埋立。長堀通)に囲まれた島の地域で、中央を東西に堀江川(埋立)が流れていて、「堀江」の地名の通り「水都大阪」を象徴する町でした。
北堀江に和光寺があります。

和光寺は、元禄11年(1698年)、堀江新地が開発されるときに建立されました。
堀江新地には遊廓があって、和光寺には、芸妓がお参りに訪れました。*1

当時、浄光寺にあったた銀杏の木の影が振袖姿の高島田(芸妓や遊女が好んで結った髪型)の髪型をした美女が手を合わせている様に見えたので、「娘銀杏」と呼ばれていました。1843年(天保14年)頃より、その影はあみだ池の方向を拝み、目は堀江の遊廓を見ているようだと人々は騒ぎ始めました。これに対し奉行所が銀杏の上半分を切り落として影が見えないようにしてしまいましたが、そんな頃、和光寺境内にあった銀杏の樹が花魁の頭のように茂ってきたので、「切り落とされた娘銀杏が花魁となって現れた。」と人々は驚き、以来、「花魁銀杏」と呼ばれるようになりました。*1

現在、名物の銀杏は幹を残すのみとなっています。

【参考文献】
*1 中村哲:写真で見る消えた大阪の宝(日本機関紙出版センター,2010)P.108

参考文献

参考記事

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