江戸時代に宿場としてにぎわった貝塚寺内町には、北の二軒町と南の旅籠町等に遊廓がありましたが、大正に入って現在の近木(南海鉄道貝塚駅の西側)に移転し、新地と呼ばれました。*1
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遊廓は、昭和33年3月、売春防止法の施行によって廃止され、新地の建物の大部分は建て替えられるか、取り壊されるか、あるいは改装されてしまいました。*1
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当時の名残と思われる建物が残っています。
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1階部分は改装されて洋風に、2階部分は和風の造りです。
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【参考文献】
*1 伊藤伸史,川口義正,南川孝司:岸和田・貝塚今昔写真帖(郷土出版社,2008)P.40