幕末明治の頃、中津城近くの通称「一番橋」と呼ばれた橋で堀川を渡った場所に、銀杏町と呼ばれる公許の遊里がありました。*1
「一番橋」の現在の標柱は、昭和62年に復元されたものです。*1
この付近は舟小屋、高札場、番所など藩の重要施設があったため、おおいに賑わいました。(案内板より)
「往こうか銀杏町、戻ろうか船場、ここが思案の一の橋」と俗謡に歌われました。*1
【参考文献】
*1 ふるさとの歴史「37.幕末時代の銀杏町に残る料亭の「日田屋」の面影」
幕末明治の頃、中津城近くの通称「一番橋」と呼ばれた橋で堀川を渡った場所に、銀杏町と呼ばれる公許の遊里がありました。*1
「一番橋」の現在の標柱は、昭和62年に復元されたものです。*1
この付近は舟小屋、高札場、番所など藩の重要施設があったため、おおいに賑わいました。(案内板より)
「往こうか銀杏町、戻ろうか船場、ここが思案の一の橋」と俗謡に歌われました。*1
【参考文献】
*1 ふるさとの歴史「37.幕末時代の銀杏町に残る料亭の「日田屋」の面影」