バス終点の木浦鉱山バス停から林道を6.9km。徒歩で約3時間かけて女郎の墓までたどり着きました。
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雑木林の中に石塚が20基あまり散見されます。
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木浦山は鉱山の発達に伴い成立した鉱山町で、人口は、最も多かった元禄12年(1699年)のときで568人でした。良鉱が発見されたとき、周辺の村々からの出稼ぎもあったと思われるので、こうした人の集まるときには、赤提灯や木賃宿が繁盛し、「女郎」もいました。女郎が死去したときは、葬式や埋葬など論外で、このような雑木林の中に打ち捨てられました。このように埋葬された場所には申し訳程度に簡単に川石で墓碑などが作られていることが多く、人間の末路としては極めて悲哀を感じるものです。(案内板より)
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普通の人でも墓が何百年も残るのは極少ないのに、女郎の墓と言われているものが四角く石を並べて残っているのは、不思議と言われています。*1
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【参考文献】
*1 米田寿美:木浦鉱山むかし物語(梅路,2003)P.155