富士宮(旧大宮町)の花街は、大正時代に、常盤家、新杵家、高しま家が開業した頃から隆盛期を迎え、昭和12年の最盛時には百数十人の芸者がいました。その原因は、生糸(絹の原料)の生産で、大宮町には、繭の取引や、繭を用いての製糸工場が多くなり、高級料亭が整理しました。最盛期には、高しま家と新杵家が50人ずつの芸者を擁していました。高しま家の料亭の門だった長屋門。が現在も残っています。*1
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長屋門は、「歴史の館」として整備されています。*2
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現在は、日本庭園風に整備されています。料亭があった場所にはレストランが営業中です。
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地元の方の話によると、このあたりには、料亭専用の風呂があって、若い旦那衆がこぞって芸者さんを見に来たそうです。
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【参考文献】
*1 遠藤秀男:懐かしの富士宮(羽衣出版,2009)P.68-P.69
【参考URL】
*2 富士宮市:ホームページ 長屋門「歴史の館」