口之津から島鉄バスで約20分、原城前のバス停で下車。そこから原城跡までは徒歩約10分です。
原城は、島原の乱最後の舞台となった場所です。
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京都の島原遊廓の名前の由来は、島原の乱というのが定説です。六条三筋町の遊郭が強制移転させられたとき、その命令があまりに唐突であったため業者は大混乱しました。その混乱の状況が島原の乱のようだったので、新遊廓を「島原」と称したというわけです。*1
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原城跡の碑。
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島原の乱の総大将となった天草四郎時貞の像。島原遊廓の命名のきっかけをつくった人物です。
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【参考文献】
*1 明田鉄男:日本花街史(雄山閣出版,1990)P.25