串茶屋には、遊女の共同墓地があります。
300坪に及ぶこの墓地は江戸時代、文化・文政の頃に出来ました。*1
東京南千住の浄閑寺は吉原の菩提寺であったため、境内には三千人の遊女の供養塔があり、また、新宿の投げ込み寺であった成覚寺には子供合埋碑がありますが、ともに合葬したものです。これに対して、串茶屋の遊女の墓は、単独の墓で、全国的に極めて珍しいものです。大小さまざまな女郎墓は、紋所や蓮の花を彫刻されたりした大きく立派なものです。*1
遊女の六地蔵。*1
【参考文献】
川良雄,池田己亥一:遊女の墓(北国出版社,1972)P.125-P.130