須坂の花街の全盛期は、昭和の初期のころで、上中町のうきよ小路沿いには、芸者衆を抱える置屋軒を連ねていました。戦後、昭和30年代は、戦後の花街の最盛期で、花街の芸者の名入りの手ぬぐいタオルが配られていました。戦時中に疎開してき富士通が電話器製造などで最盛期を迎えていたのもこの時期でした。*1
現在のうきよ小路は、、料亭「とよ松」の建物など、当時の小路の雰囲気が残されています。
うきよ小路の案内板。
須坂の芸者衆も昭和から平成に変わる頃には、徐々にその数が減り始め、長野からコンパニオンを呼ぶようにもなり、平成10年頃には、座敷に揚がる芸者は姿を消しました。
【参考文献】
*1 須坂市誌編さん室 編. 須坂市誌 第2巻 地誌・民俗編(須坂市,2014)P.492-494