曙町(親不孝通り)昔の雰囲気の残る路地

伊勢佐木通りの隣にある親不孝通りは、昔は青線街でした。現在はヘルス街となっていますが、その中に古いアパートが残っています。隣のピンク色の建物は、パチンコ店です。

タイル貼りのデザインが際だっています。

アパート脇にある木製の門。

なぜか刺青の貼り紙。

曙町 民家
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曙町(第一京浜裏手の路地)赤線時代の雰囲気が残っています。

第一京浜の裏手に昔の赤線時代の建物がごっそり残る路地があります。その路地に、さらに細い路地が直交しています。

アーケードが痕跡が残っています。

かつては、この路地は賑わい見せていたのかもしれません。

使われていない旅館の入口。

曙町 赤線·私娼跡
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曙町(末吉町)料理店のプレートがあります。

今回は、曙町(神奈川県横浜市)の町並みと風俗を散歩します。日の出町の駅から伊勢佐木町方面へ向かう途中の末吉町のあたり。古い雑居ビルがあります。

1階に、料理店があります。

料理店のプレートが残っています。

一見さんお断りの注意書き。

スナック街·店舗 曙町 末吉町共同ビル
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西新宿(横丁の中にある公衆トイレ)

思い出横丁の中ほどに、公衆トイレの看板があります。公衆トイレは、この看板のところを右に曲がったところにあります。

隣の狭い路地には、立小便禁止の看板。昔、この横丁がしょんべん横丁と呼ばれていたのは、小便臭かったからかもしれません。

狭い路地の奥まったところに、公衆トイレがあります。

きちんと掃除されており、綺麗です。

公衆トイレ 西新宿
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西新宿(思い出横丁)昔はしょんべん横丁と呼ばれていました。

新宿駅前に「思い出横丁」、「やきとり横丁」と看板が掲げられた飲み屋街があります。昔は「しょんべん横丁」と呼ばれていました。

もつ煮がおいしそうな飲み屋や、やきとり屋が軒をつらねています。

線路沿いの横丁は、「やきとり横丁」と呼ばれています。こちらは、明るい雰囲気です。

横丁を横断する狭い路地。人ひとりがやっと通れる幅です。

【参考文献】
*1 泉麻人:青春の東京地図(晶文社,2001)P.209

思い出横丁 西新宿 飲食街·横丁
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西新宿(十二社花街跡)階段のある路地

十二社(西新宿2丁目)には、再開発を免れた一画があり、昔の花街の面影が残っています。
写真は十二社通り西側のビルの裏側ですが、階段の下までが弁天池で、ホテルや旅館のある高くなっている所が池畔で、このあたりに料亭が並んでいました。*1

落ち着いた感じのこじんまりとしたホテルです。

もう1軒旅館がありました。

坂道を下ったところが十二社通りです。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.114

十二社花街 花街·花街跡 西新宿
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西新宿(熊野神社)十二社という地名でした。

新宿中央公園に隣接する場所に熊野神社があります。このあたりは、かつては十二社(じゅうにそう)という地名でした。

境内に案内板があります。これによると、十二社は、池や滝を擁した江戸時代からの景勝地で、明治時代からは遊興地として発展し、第一次大戦後は、約60軒の料亭があったそうです。

案内板に掲載されていた「十二社の池」の写真

「十二社の池」は、十二社通りをへだてて建つ現在はビルが建っているあたりにありました。 *1
現在、「十二社の池」は、バスの停留所の名前に名残を見ることができます。

【参考文献】
*1 熊野神社:「十二社 熊野神社の文化財」案内パンフレット

花街·花街跡 西新宿
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西新宿(西新宿8丁目の住宅街)ピンクビラお断り

西新宿8丁目は、昭和の時代の民家やアパートが数多く残る静かな住宅街です。

「ピンクビラお断り」の貼り紙が貼られています。ということは、このような住宅街までピンクビラを貼りに来る業者がいるということでしょうか。

アパートの入口付近。

古いアパートの入口にある郵便受け。

看板・貼紙 西新宿
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西新宿(地下道の公衆トイレ)いかがわしい行為禁止です。

今回は、西新宿(東京都)の町並みと風俗を散歩します。
西新宿と言えば、広大な地下街をイメージします。かつてこのあたりは、ホームレスの人たちの居住地区でした。

新宿エルタワー近くの地下道に、「新宿区立新宿西口地下第二公衆便所」があります。一見何の変哲もない公衆トイレですが....

入口に、「この便所での寝泊りゃいかがわしい行為を禁止します。」の看板があります。看板は女子トイレ側に設置されているので、主に、「寝泊りゃいかがわしい行為」は女子トイレで発生しているのでしょうか。

女子トイレの中を覗くわけにはいかないので、男子トイレの内部を覗いてみました。それほど広いスペースではありません。

看板・貼紙 西新宿
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小姓町(東前稲荷神社)案内板に遊廓の歴史の説明があります。

小姓町にある東前稲荷神社。

案内板に小姓町遊廓の歴史が紹介されています。これによると、文政4年(1821年)に山形城主の秋元涼朝(すけとも)により、城下に遊女屋が置かれたのがはじまりで、明治17年に貸座敷業者が終結し、小姓町遊廓となりました。

イチョウの落ち葉が一面を覆っていました。この稲荷神社もイチョウの木と共に歴史を刻んでいるようです。

昔は町の中を、このような小川が縦横に流れていたのかもしれません。

小姓町 遊廓·遊里跡
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小姓町(生活衛生会館)元娼妓診療所

小姓町の石畳のメインストリートの突き当たりに、駆楳院と呼ばれていた遊廓の女性たちの性病検査をしていた病院の建物が残されています。駆楳院は、明治30年に建築されましたが、昭和21年に遊廓の歴史にピリオドが打たれ、娼妓診療所の役割を終えた後は、昭和30年前後から山形県立職業訓練校の女子寮「白菊寮」に転用されました。職業訓練校が廃止となった昭和55年以降は、山形県生活衛生会館として、山形県の社交業の5組合の事務所となっています。*1

入口の前には、井戸がありました*1 が、今ではスファルトの駐車場で覆われています。懐かしい木造校舎のような匂いがあります。

窓の装飾。

後ろから見ると立派な建物であったことが解ります。

【参考文献】
*1 千葉由香:別冊東北学(2003.7)「小田原遊廓物語 常盤町に封印された女たちの記憶(6)P.430-P.443

小姓町 小姓町遊廓 遊廓·遊里跡
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小姓町(小姓町遊廓跡)現在の石畳の道の両側には妓楼が建ち並んでいました。

今回は、小姓町(山形県山形市)の町並みと風俗を散歩します。小姓町(こしょうまち)には、かつて遊廓がありました。現在は、旅館や料理店もあり、かつての賑わいを想像させます。

石畳で整備された道路が旧遊廓のメインストリートです。道路の脇に案内板があり、かつての遊廓の様子や歴史が記されています。

案内板によると、この道の両側には十数軒の妓楼が建ち並んでいました。小姓町の遊廓は、明治時代に貸座敷の許可を得、花街時代まで約70年間繁栄したそうです。

美しい町並みです。

小姓町 小姓町遊廓 遊廓·遊里跡
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常盤町(清浄光院)娼妓の墓があります。

清浄光院は、小田原遊廓があった場所から15分ぐらい歩いたところにあります。


389
ここに、かつて小田原遊廓に身を置き、遊廓の中で死んでいった娼妓たちの墓があります。*1*2
非常にいい字で墓碑が刻まれています。

墓碑銘は、「仙台睦之墓」とあり、台座には、町内会長や幹事の名前が刻まれています。*1

墓石の裏に回ると、「心照妙喜信女 明治26年8月16日死」という法名がたった一つだけ刻まれています。

【参考文献】
*1 千葉 由香:別冊東北学(2000.9)「小田原遊廓物語(3)常盤町に封印された女たちの記憶」 P.389-P.397
【参考URL】
*2 河北新報社:時を語れ東北の20世紀「わかれっぱ/壱千参百円 望郷の念売り払い 苦界に沈む

墓・供養塔 小田原遊廓 常盤町
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常盤町(旅籠町公園)旧町名の名残を見ることができます。

常盤町遊廓が廃止され後は、常盤町は旅籠町と改められました。小田原町の西側には、「旅籠町公園」があります。

公園の名前に旧町名の名残を見ることができます。

「はだご町町内会」の掲示板。ここにも旧町名が残っていました。

公園のすぐ裏手には、旅籠町町会の集会所があります。

娯楽文化 小田原遊廓 常盤町
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常盤町(宮町の商家)百年以上経つ店

常盤町遊廓は、最初は、町の西側(現在の支倉町)にありましたが、明治27年に宮町の東側の小田原に移転しました。1
明治45年の地図では、遊廓は青く塗られ、30近くの屋号が書き込まれており、一大観光地でした。
2
宮町には、当時の賑わいの面影を残す商家が今でも残っています。

宮町に残る古い商家の一つに、「大瀧履物店」があります。*2

「大瀧履物店」の奥さんの話によると、座売りの形態を残した店は、百年以上経つもので、昭和20年代まで桐下駄作りに追われていたそうです。昭和33年に廃止されるまで、遊廓の賑わいは、髪結屋、魚屋、味噌屋、乾物屋など多くの商店をうるおしました。*2

現在の「大瀧履物店」は、小学校指定靴やナースサンダルなどを販売しています。

【参考文献】
*1 千葉 由香:別冊東北学(2000.9)「小田原遊廓物語(1)常盤町に封印された女たちの記憶」 P.262-P.271
*2 西大立目祥子:仙台とっておき散歩道(無明舎出版,2003)P.173-P.174

商業 宮町の商店街 常盤町
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常盤町(小田原遊廓跡地)遊廓があった頃は常盤町と呼ばれていました。

今回は、常盤町(宮城県仙台市)の町並みと風俗を散歩します。
東北随一とうたわれた仙台小田原遊廓。正確な町名は常盤町といいました。*1 現在の青葉区小田原6丁目付近です。遊廓の入口だった北一番丁には、大門がつくられ、2、3階建ての妓楼がずらりと軒を連ねていました。*2
「仙台花街繁昌記」*3 には、妓楼だった建物が「あさかや」という屋号の旅館に転業した写真が掲載されていますが、現在は、遊廓跡地の北側に同じ名前のアパート「コーポラスあさかや」が建っています。

南北の縦断する大門通りは道幅が広く一直線に伸びていて、ここに遊廓があったことを想像させます。「小田原遊廓地図」*1 によると、現在、亀谷商店がある場所(写真右側)には、亀屋という屋号の店がありました。

遊廓の北側には、「駆楳院(くばいいん)」と呼ばれる病院がありました。*4 現在、この場所は住宅地になっていて、昔の面影はありません。

遊廓の南側の通り。「小田原遊廓地図」*1 によると、ここには食品店や飲み屋が建ち並んでいました。現在もその面影が残っているように思え、想像力をかきたててくれます。

【参考文献】
*1 千葉 由香:別冊東北学(2000.9)「小田原遊廓物語(1)常盤町に封印された女たちの記憶」 P.262-P.271
*2 西大立目祥子:仙台とっておき散歩道(無明舎出版,2003)P.173
*3 田村昭:仙台花街繁昌記(宝文堂,1974)P.18
*4 千葉 由香:別冊東北学(2002.1)「小田原遊廓物語(3)常盤町に封印された女たちの記憶」 P.389-P.398

小田原遊廓 常盤町 遊廓·遊里跡
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国分町(ピンクチラシ回収ボックス)チラシがピンク色です。

定禅寺通りに近いあたり。この付近には風俗店が集中しています。

駐車場の前にピンクチラシ回収ボックスがありました。

黄緑色のデザインです。ピンクチラシの文字はピンク色で書かれています。

投入口に描かれているチラシの色もピンク色です。

国分町 白ポスト
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