尼崎から出屋敷へ向かう通り。

旅館があります。

温泉マークの看板。昭和初期の「さかさくらげ(連込み旅館)」のようにも思われますが....

実際は、ごく普通の旅館です。

町並み・歓楽街、大衆文化・風俗
尼崎から出屋敷へ向かう通り。
旅館があります。
温泉マークの看板。昭和初期の「さかさくらげ(連込み旅館)」のようにも思われますが....
実際は、ごく普通の旅館です。
尼崎市記念公園近くの道路。
貼り紙が貼られた電柱があります。
「小便をさすな!」の貼り紙。
電柱の根元には小便除けと思われる柵がたてかけてあります。
今回は、尼崎の町並みと風俗を散歩します。
JR尼崎駅のエスカレータ。
エスカレータを登り切ったところに白ポストがあります。
目立つ場所で邪魔にもならない場所に設置されています。
味園ビルの東側の角には、キャバレー「ユニバース」のネオン看板が輝いています。
国内最大級のグランドキャバレー「ユニバース」は、平成23年3月15日をもって閉店しました。今後は、貸し会場、貸しギャラリーとして営業されます(貼り紙より)。
入口の装飾。
ビルの裏側には、応募の方の入口が残っていいます。
千日前二丁目一帯は、昭和の雰囲気の残る盛り場です。
その中心にある「味園ビル」には、サウナ、ホテル、宴会場、男の遊び場がそろった総合レジャービルです。
レトロな看板。2階は、キャバレー「ユニバース」と大スナック街です。
夜になると、派手な電飾が猥雑さをかもしだします。
道頓堀橋の西側にある西道頓堀新戎橋の橋のたもとに「道頓堀出世地蔵尊」があります。
案内板によると、江戸時代、北岸の宗右衛門町と南岸の九郎右衛門町(現在地)が二大花街として町人文化の核となり、街の発展に伴い、多くの人が出世を願って地蔵尊に訪れるようになったそうです。
かに道楽などが寄進した玉垣があります。
「大阪特殊浴場協会」の名前もあります。
今回は、千日前(大阪市中央区)の町並みと風俗を散歩します。
道頓堀は原色のドハデ看板のオンパレードです。かつては、芝居小屋が並ぶ非日常のエンターテイメント・ゾーン。通行人の目を存分に楽しませてやろうという浪速の芝居っ気精神が現在に生きています。*1
動く看板の元祖、かに道楽本店の巨大ガニ。
「つぼらや」の巨大フグ提灯。
昭和25年から道頓堀の栄枯盛衰を見てきた「くいだおれ太郎」。大阪のシンボル的存在です。くいだおれ太郎は口ベタなので、いつもフキダシで喋ってます。いちばんウケたのは平成4年の「わて泳げまへんねん」でした。昭和60年の阪神タイガース優勝のときの夜、興奮したファンの手によってカーネルサンダース人形が道頓堀川に投げ入れらるという事態が発生しました。平成4年は阪神タイガースが絶好調で10月になっても優勝争い中。そこで太郎は「わて泳げまへんねん」のフキダシで自身の危機を訴えました。*2
【参考文献】
*1 前田和男:市政研究(2004)P.78-P.81「なにわ路上観察紀行(3)心斎橋~難波界隈」
*2 くいだおれ太郎:くいだおれ太郎のつぶやき(マガジンハウス,2008)P.29-P.31
新宿駅南口近くの通り。ポルノ映画館や飲食店が建ち並ぶ繁華街です。
ファッションヘルス「クリスタル」の看板があります。
付近を捜してもヘルスらしい店はありません。
閉店後、看板だけが残ったものと思われます。
歌舞伎町のランジェリーショップ。路上にマネキン人形が並んでいます。
ランジリーショップのショウウィンドウのバニーガールのマネキン。
足だけのマネキン。
量販店のおしりのクッション。Tバックを身に着けているのがポイントです。
今回は、歌舞伎町(東京都新宿区)の町並みと風俗を散歩します。
歌舞伎町の18階建て複合ビル「東京都健康プラザ『ハイジア』」。
道を挟んだ東側には、ラブホテル街があります。
ハイジア前の歩道は、数年前まで、路上に「立ちんぼ」がたむろす売春スポットでした。
浄化対策が進んだせいか、最近は「立ちんぼ」を見かけなくなりました。
渋谷駅からほど近い旧東邦生命ビル(現渋谷クロスタワー)の一角は、1992年に死去したミュージシャンの尾崎豊さんが夕陽を眺めていたとの伝承があった場所です。*1
三回忌法要の際にモニュメント(歌碑)が建立されました。*1
この場所を訪れた証明とも記念とも言うべき「落書き」が残されています。この落書きは、あたかも風景の一部として溶け込んでいます。*1
落書きは床面にも書かれています。
【参考文献】
*1 倉石忠彦:渋谷をくらす(雄山閣,2010)P.101-P.107
円山町のラブホテル街。昔は料亭街でした。
渋谷の道元坂上からラブホテル街への道を入ったところに、工事現場などで通せんぼをするときに使われる「カラーコーン」が置いてあります。
カラーコーンには、「ゲロ禁止」「ゲロはくな」の貼り紙(ガムテープ)。
百軒店の名曲喫茶の裏口へ通じる通路。
立小便禁止の貼紙。
円山町のラブホテル街。
ホテルの壁面に公衆電話が備え付けられています。
ホテルの利用者は、公衆電話を使用することが多いことを見込んで備え付けられているのでしょうか。
ちらし等、はり紙、落書、おことわり。
道玄坂の中ほどに看板建築の商店の建物が残っています。
数棟ある建物には外壁崩落防止のネットがかけられています。
屋根裏に部屋をとって三階として利用できるようにしたマンサード屋根の構造をもつ建物もあります。マンサード屋根とは、下部の急勾配と上部の緩い勾配が組み合わさってひとつになった屋根で、「腰折屋根」ともいいます。フランスの建築家、F.マンサールの考案といわれています。*1
商店は営業していません。取り壊しの準備が始まっているようです。
【参考文献】
*1 初田亨:繁華街の近代(東京大学出版会,2004)P.236,P.272
飲食店や風俗店が密集する渋谷には、おとなのおもちゃ店が数店舗あります。
店の入口に置かれているランジェリを着たセクシーなマネキン。
百軒店の入口にて。
「成人向けおもちゃ」の看板。
今回は、渋谷(東京都渋谷区)の町並みと風俗を散歩します。
渋谷の「センター街」は、若者で混雑する繁華街です。
人通りの多い場所にコンドームショップがあります。明るくポップな雰囲気で、「コンドーム」と聞いたときに感じる暗さはここではまったくありません。*1
カラフルでさまざまな形状の商品が扱われています。
ガングロ女子高生にバカ売れした蛍光コンドームなども品揃えされています。*2
コンドームショップに若者が訪れ、楽しくコンドームを選ぶのはごく日常的な光景となっています。*1
【参考文献】
*1 今福 貴子:性と健康(2002.11)「ルポ コンドーム販売店 コンドマニアに学ぶ」P.28-P.30
*2 週刊ポスト:週刊ポスト(2000.04.14)P.54「ガングロ女子高生にバカ売れ!光るコンドーム」
花園神社境内に、末社として芸能浅間神社が祭られています。これは、江戸時代より盛んになった富士山信仰の富士講が元になっていて、ミニチュアの富士山と浅間神社を祭りしていたものを現代の芸能の神様として位置づけたものです。*1
八代亜紀さん、由美かおるさん、など多くの芸能人の名前が見えます。
宇多田ヒカルさんの母親として知られる藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑。
芸能浅間神社の社号標は、歌手の八代亜紀さんによって奉納されました。八代亜紀さんは、デビューの1973年より花園神社にヒット祈願に訪れ、1980年に「雨の慕情」が大ヒットしました。
【参考文献】
*1 長浜淳之介:荷風!Vol.9(日本文芸社,2006)P.21「花園神社物語」
花園神社の境内の中にある威徳稲荷神社。赤い鳥居が連続します。
額の後ろに木彫りの男根模型が飾られています。
祈願する女性が男根をなでやすいように、乗るための台が置かれています。*1
後ろ側には石でできた男根があります。2つの睾丸もリアルに表現されています。男根は修理した形跡があって、痛々しく感じます。
風俗ライターの松沢呉一によると、昔はこれが何本もあったが、酔っぱらいが折ってしまったそうです。*2
【参考文献】
*1 町田忍:東京ディープ散歩(アスペクト,2008)P.50
*2 松沢呉一:風俗見聞録(ポット出版,2003)P.126
新宿三丁目から歌舞伎町方面へ行く路地。
古い質屋があります。
入口のシャッター。
レトロなネオン管の「質」の看板。