*山口日都志: 女性哀史 佐世保遊里考 (芸文堂,2017)

P.160-P.163
早岐と相浦が佐世保の副都心であり、早岐は商業と鉄道の街として重要な役割を果たし、相浦は石炭積み出しと佐世保商港の副港としての機能が強まってきていた。
早岐月見町遊廓(現田子ノ浦バス停奥)には4軒の貸座敷があり、小さいながらも遊廓を形成し、30人ほどの娼妓(酌婦)が抱えられていた。
P.163
写真:昭和33年まで100年以上続いた早岐の月見町遊廓の跡。遊廓入口を示す門柱が見える。

P.48
軍港設置と殆ど時を同じくしてできた木風遊廓は、小佐世保に移転してからいよいよ繫昌し、日露戦争頃には妓楼の数三〇余り、娼妓また四百人を数えた。しかし、”戦争によってますます大きくなった海軍と市の人口では、これでもまだ足りぬ”というわけでもなかったろうが、明治42年頃になると、新たに名切遊廓(花園遊廓ともいった)ができた。