中村高寛ヨコハマメリーかつて白化粧の老娼婦がいた河出書房新社2017
ドキュメント根岸家
関内方面から伊勢佐木モールを歩いていくと、両側に松坂屋と有隣堂本店。その先の角を右折すると、大きな駐車場がある。「根岸屋」があったところだ。昭和21年5月、伊勢佐木町で営業を始めた大衆酒場で、屋号は義理の祖父の出身地、横浜の根岸町からとったという。 進駐軍のカマボコ兵舎からドラム缶詰で吐き出される残飯の中には、”牛肉もゴム製品も”いっしょくただった。これを選り分けて、”食べられる残飯”を野毛の「くじら横丁」などの闇市に雑炊用として提供したのだ。 まずは、パンパンたちがお店の上得意になった。そして彼女たちを追って進駐軍の米兵たちが多く集まってきたほか、ヤクザ、愚連隊、ポン引きなどが割拠するたまり場として、その名を轟かせることになる。また、森繁久彌、伴順三郎、三木のりへい平、林家三平などの芸能人や、作家の黒岩重吾も取材をかねてたびたび訪れていた。
第3章 メリーさんの記憶
馬車道にあるアートビル。この1階のベンチは、メリーさんの指定席でもあった。アートビルのオーナーであり、ビル1階に店舗を構える「アート宝飾」の代表、六川勝仁よると、彼は「メリーさんにとって恩人の一人」のようだ。時代ととのみ、出入り禁止になったビルが多かったというが、六川はメリーさんを拒むことはしなかった。「いろいろなビルから追い出されている中で、うちのビルがそういうことをしなかった4ということもあって、メリーさんの中ではね、ありがとう、ということだったと思いますけどね」すでにアートビルの指定席だったベンチは取り外され、1階の「アート宝飾」の店舗は「スターバックスコーヒー」へと変わった。