上村敏彦: *東京花街・粋な街 (街と暮らし社,2008)

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銀座の明治5年の大火は、金春付近にあった芸妓置屋も焼き尽くした。そこで、芸妓屋や芸妓は、一部を残して汐留川より南の烏森方面に引っ越した。煉瓦街が完成すると烏森から旧地に戻る者もあり、新橋は烏森の南地と汐留川北地の煉瓦地に、二つの花街が誕生したのである。
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烏森神社の写真
烏森神社と参道の飲食店(平成13年頃)。現在、左側は整備され、飲食店はない。

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戦時中には強制疎開で取り壊されたり、廃業した料亭・待合も多く、戦災で被害を受けなかったのはわずか六軒だけであった。築地の「新喜楽」「米田中」「雪村」と銀座七丁目の「蜂龍」「金田中」「田中家」で、疎開していた芸妓屋や芸妓もポツポツ東京に戻ってくるのは昭和21年のことだ。
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芥川賞や直木賞の選考会場としても有名な築地の料亭「新喜楽」。

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昭和2年の「全国芸妓同盟会総員名簿」によると、大木戸芸妓組合事務所は旧永住町36番地。(現ホテルニュー長良川辺り)にあり、置屋は32軒あった。
この花街は、荒木町花街と新宿の遊廓やカフェー街に挟まれた格好で、隠れ家的な遊び場として知られていた。
戦前のの昭和15年当時の様子をたどってみると、新宿シネマ(現野村不動産新宿ビル・四谷4-28)の裏(北側)に料理屋「自慢荘」があり、この裏に待合「住吉」「みなと」「富田家」が並んでいた。東には、崖沿いに「和楽」「清月」など待合が7,8軒ズラリと軒を連ねていた。
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現在も営業を続けているのは、「多満川」のみで、他はマンションや駐車場になってしまっている。「多満川」から北へ行った突き当りにあるマンション「新宿御苑」は、1階部分は料亭の名残を感じさせる建物で、石塀に囲まれている。