上村敏彦東京花街・粋な街街と暮らし社2008
神田川沿いの新花街・中野新橋
P.184-P.186 以前は神田川沿いに紅灯が並び、三味線の音が聞こえていた風情も失われ、現在営業している料亭も「亀太川」だけになってしまった。 三業組合が信奉した悠池弁天社がカーサアルハムブラマンション(本町3-8ー5)脇にポツンと建っている。花街の範囲は本町三丁目の2~11番地までと本町5丁目の2~6番地で、本郷氷川神社手前までであった。 昭和四十七年発行の「接待手帳夜の街昼の街」(講談社)には、「昭和三年、地元の大地主が田んぼのど真ん中にデンと建てた亀太郎という料亭が、中野新橋そもそものはじまりである。その頃は、雨が降れば道路はヒザまでつかるという湿地で、芸者は新宿十二社から借りてきたという。」とある。この頃の料亭には「寿楽」「とんぼ」「曙」「春日井」「紀文」「一直」「安の井」「恵比寿家」「豊年」「千鳥」など四十三軒が営業していた。

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中野新橋(藤神稲荷神社)三業組合寄進の玉垣。
中野新橋(弁財天)三業組合が信奉。マンション脇。
中野新橋(料亭「亀太川」)最後まで残った料亭の建物。