戦後間もない頃、浜田恵美子女史が、京都、大阪の美人ホステスを動員して産馬通りに「民謡酒場」を開業したのが当たって、昭和38年、東三番街に進出。「サロン花園」と「割烹大坂屋」を新築開店し、昭和48年には、小川原開発ブームに乗っかり大改造した「割烹大坂屋」は、京都風の料亭さながらに、部屋と部屋の間に小庭園を配し、これに流水をあしらったもので、〽盃上に美見、盃下に山水を望む〽という憎らしい程の演出が、お客の原始的本能にアッピールした。
 昭和25年、東三番町の一画に風来坊の如く登場した菊地正一氏(愛称、菊正さん)が、焼鳥、カストリ屋から身を起こし、「クラブこけし」「割烹こけし」を開店。
 ビックスリーの三番手の登場は「湖畔グループ」である。昭和35年、東三番街の一隅に「バー湖畔」を開業したとたんにヒットした。ヒットの要因は、マダム(田鶴子女史)の絶世の美貌とセクシーな声色、そして三人のお客様に対し同時限に於いて、脱連鎖反應的にサービスができるという特技に、お客の「モテたい心理」はくすぐられた。

《関連記事》