江戸時代から「芸どころ津島」と評判であった津島の花街。昭和初期、津島町には池須を中心として24軒の芸妓置屋があり、120人余りの芸者が花澤連(はなざわれん)を組織して宴席に華を添えていた。とりわけ花澤連の組合長堀田徳太郎は、舞踊・常盤津(浄瑠璃音楽)・鳴物(三味線以外の楽器)の師匠を名古屋から招聘(しょうへい)し、長唄(三味線)は、津島町の名妓福丸に依頼するなど、芸の向上に熱心であった。