江戸東京たてもの園:看板建築展 説明資料(江戸東京たてもの園,2018)

バラックの街並み
被災者の多くは、焼け跡に自力で資材を集めて建てたバラックに暮らした。この様子を、「考現学」の創始者として知られる今和次郎(1888年~1973年)は、スケッチに残すとともに、「バラックを美しくする活動」を始めた。一方、大通り沿いの繁華街では、建築家のデザインによる意匠を凝らした仮説の商店が出現した。このようなバラックをめぐる様々な動きがのちの看板建築の誕生に大きな影響を与えた。

屋根には、「腰折れ屋根(マンサード屋根)」を用いることが多い。
看板建築の屋根には、腰折れ屋根(マンサード屋根)が用いられることが多い。これは、木造3階建てが禁止されていたため、3階に当たる部分に腰折れの屋根を造ることで、階数には数えられず「屋根裏」とすることができたことによるものという。実際、建築の審査を担っていた警察からマンサード屋根にするようアドバイスを受けた、という話が伝わっている。
また、当時よりマンサード屋根と呼ばれた屋根の多くが、2つの傾斜で構成される将棋の駒のような形の屋根で、正しくは、「ギャンブレル屋根」と呼ぶ。

《関連記事》