山本瑳一: 豊川・宝飯いまむかし : 写真集 (名古屋郷土出版社,1989)

P.52-P.53
御油は、東海道五十三次の中でも「御油に赤坂吉田がなくば何のよしみで江戸通い」と俗謡にも謡われるほど、飯盛女で街道筋に聞こえた遊興の宿場であった。小さな宿場にもかかわらず繁盛した理由は、ここにあった。ところが、明治に入ると交通手段の主役が鉄道に移り、それについれて旧御油宿は次第にさびれていく。現在も御油町の中心は新御油橋付近だが、御油橋を渡る旧東海道沿いは裏通りとして利用されているに過ぎない。