山谷一郎: *網走私史 第3集 (山谷一郎,1995)

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昭和12年頃の八丁目は、昔日の繁栄の姿は消え、軒を列べていた越中楼、金松楼、松葉楼、昇月という大店は、アパートや旅館、そば屋、カフェなどに姿を変え、たった一軒、扇屋(後のたちばな)だけが妓を四、五人置いてささやかに営業を続けていた。

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昭和編
昭和2年の頃は、町にまだカフェーと呼ぶものが一つもなかった。遊廓も四軒ほど残っていたが、昔日の繁栄は影を秘め、それに替わってそば屋と料亭が繁昌していた。先ず料亭では北盛亭、入舟、いくよ、なかでも北盛亭は田中孫次郎という人が経営していて、網走では一番大きく、当時野付牛(北見市)の梅の家と並んで、道東でも屈指と言われていた。二階の百畳敷の大広間には煌々と電気がつき、あでやかな三味線に混じって歌声や、さんざめかしい芸者達の嬌声が聞こえ、いかにも花柳界という雰囲気が外まで聞こえてくる。