志村秀明月島再発見学まちづくり視点で楽しむ歴史と未来アニカ2013
P.151-P.153 長屋の配列と間取り 路地一本あたりに、二十四軒の長屋住宅が建つのが標準である。二軒長屋や四軒長屋が多い。月島の長屋は、一つの路地に沿って数軒まとまって建設されている。資本力がある人が東京都から土地を借りて建て、いわゆる大家となって長屋を貸していた。戦後間もない頃までは不動産会社というものがほとんどなかったので、入居者の募集や家賃集金、長屋の管理は差配(さはい)というまちの親分というような人が行っていた。 P.174-P.175 月島の中心と言えば「西仲通り商店街」だ。地下鉄の開通で銀座や有楽町が身近になったこともあり、現在、商店街に物販店はほとんど無くなった。代わりにもんじゃ店が増え、もんじゃ通りと化している。 P.180-P.181 西仲通り商店街の歴史を見て取れるのが、「看板建築」だ。看板築とは、建物立面が看板を兼ねているもので、昭和の前期から中期に多く建てられた。西仲通り商店街ではアーケードの上に看板部分が並んでいる。 現在の西仲通りの町並みは、関東大震災と戦後に形づくられた。大正時代の「月島調査」での写真を見ると、建物は家屋風で商店建築の体裁ではない。それが震災後の写真を見ると、看板建築などの商店建築が登場する。更に、戦後になると、ほとんどが看板建築スタイルとなった。

この文献を参照している記事

築地(西仲通り商店街)明治時代の埋め立て工事により出来上がった町。