市川小太夫: 吉原史話 (東京書房,1964)

P.13-18 昭和36年3月28日に、浅草千束町二丁目の、亡父の旧邸跡の地所の角に、猿之助横丁という碑が再建されて、その建碑式が施行されました。 亡父が猿之助時代に、当時の浅草田圃に三百坪の土地を埋め立てて家を構えたのは、明治18年だったそうです。 私は、明治35年の1月に、この家で生まれたのですが、浅草田圃も私の物心ついた頃には、大変繁華な街となっておりました。この家の西側の横丁を何時の頃からか、猿之助横丁と人の口に云われて、この辺へ来る人の、一つの目標となった訳です。 ところが、この横丁が、いつの間にか私娼街に化けて、軒並格子窓と暖簾が続いて、軒の丸い電灯に、春の家とか、竹むらとか弥生とか、屋号まで書き出して、夕方になると、集り寄る遊客に、暖簾の隙間を分けて、チラと顔をのぞかせた春の女の囀り(さえずり)が、漏れ聞こえて来たものでした。 吉原までは足は遠いし、ちょいとお格好にいけるというところからでしょう。随分とここが賑わったものでした。猿之助横丁の有名度が高められたのが、明治45年頃でした。