都筑道夫: 妄想名探偵 (講談社,1979)

P.41-P.42 この横丁の千束通りの角のところに、明治のころ、歌舞伎役者の市川猿之助が住んでいた。段四郎になって死んだ初代の猿之助で、初代のあとを明治末に襲い、昭和敗戦後に猿翁になって死んだ二代猿之助も、その千束二丁目の家で生まれて、育っている。つまり、明治から大正にかけて二代にわたる澤瀉屋(おもだかや)の家があったので、猿之助横丁と呼ばれるようになったのだ。 大正後期、関東大震災が起こるまで、この横丁には、銘酒屋がならんでいたらしい。銘酒屋というのは、昭和敗戦後の特殊飲食店、青線にひってきする明治大正語で、すなわち酒もうるが器(うつわ)の売る、娼婦のいる飲み屋である。いまでもこの横丁には、飲み屋、バー、喫茶、スナック、小料理屋のたぐいが多い。