丹羽正春: 東京 (通号 287) (東京商工会議所,1971.05)こうして高田馬場の商店街再開発に成功した(講演要旨)

P.37-P.38 高田馬場は終戦後の二十三年の三月に、戦災復興事業として、政府の指定を受けたのですが、まだ当時は世相が混乱していまして、立消えの形になってしまい、三十七年九月に高田馬場総合開発建設協会(防災建築街区造成組合の前身)が成立しました。高田馬場の駅付近は、戦後急増したバラック建ての老朽家屋が密集し、商店街のメンバーも所詮小売商にすぎません。そこで、資金がなくても、ビルが建つ方法はないものかと考え、必要なスペースの外は、全部貸すようにして採算を考え、プランをねりました。 P.39 今日までに七棟のビルが完成し、駅前広場には、中央に女神の像を置き、噴流水を設けました。