堀切直人浅草 大正篇右文書院2005.7
六区の活動写真街を行く
P.19 明治36年には六区に、日本最初の活動写真の常設館として、「電器館」が開設された。電器館は、電気知識の普及という名目で、電気仕掛けの器具類を応用した見世物を並べた小屋であったが、やがて経営が行きづまって、経営者が夜逃げした。そこで、後に残った事務員が吉沢商店へ頼み込んでフィルムの配給受け、歩合で活動写真の上映を始めた。最初は、経営困難だったが、日露戦争が始まると、戦況を知らせる実写映画が毎週、新たに打てるようになって客足が伸び、明治38年からは吉沢商店の直営館となった。「日本映画発達史・第一巻」に載っている映画技師の談話によれば、「見物人は腰掛もない土間に立たされて、下駄ばきで、人の肩越しにのぞくという、乱暴な開業ぶりだった。」もっとも、逆に、履物を下駄番に預ける面倒がなく、下駄履きのままで見られる気軽さと、入場料の安さが、電器館を成功させたものでもあった。