額賀せつ子水戸と太田の芸妓たち : 芸妓の今昔(公財) いばらき文化振興財団助成事業K5 ART DESIGN OFFICE.2015.12
水戸の芸妓たち

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上市にも芸妓
上市の芸妓屋は、大工町を中心に鳥見町、狸新願寺、泉町、狸五軒に散在し、鳥鍋、鰻屋、寿司屋などの飲食店も出現し、次第に盛り場となった。料亭には「中川楼」「山口楼」そして「松泉楼」「扇屋」などが建っていた。待合は明治末の頃、鳥見町に「松寿亭」ができたのが初めてである。
大工町花街は、明治時代松から大正時代にかけて最も賑わったが、その中心は時代により新願寺町・狸新願寺町から鳥見町へさらに天王町へと移っている。

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現在、大工町一丁目川上ビルのわきの通りは旦那横丁と言われる。裡信願寺町から表信願寺町へ通ずる横町であった。この一角は芸妓屋町で、しかもその芸妓屋はいずれも旦那持ちだったので、地主の川上が新道を開いたとき、旦那横丁と言ったのが始まりという。今もその名を看板に見ることができる

太田の芸妓たち

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板屋坂の中間地に板屋稲荷神社がある。かつて芸妓たちは新年の初午にお参りした。芸妓がいなくなった今では、東町二丁目の氏神様となっている。この神社は1394から1427年(応永年間)に建立されたもので、佐竹氏累代の氏神である。

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当時は祝い事があると芸妓の出番になっていたようである。
若宮八幡宮の例祭には、山車が出て、芸妓が山車に乗っていた。