小原長太郎吾妻の昔むかし小原長太郎

浅野作造は当地方における佐幕方義軍の一人で官軍に対抗、横田で戦死。その首級は木更津へ運ばれ、吾妻神社境内の路傍にさらされた。村人は、その哀れさを忍び、路のほとりに小さな石をたて、お線香をあげて弔ったが、いつの間にか「浅野様」と呼ばれ願をかけると願が叶うと民間信仰の対象になった。と言われる。

大正時代になってこの地に墓が立てられ 本堂に向かって右側に所在する 別に東自衛隊近くに浅野の祠がある。

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木更津(浅野作造の墓)「浅野様」と呼ばれた民間信仰。