中山成彬江の島と歌舞伎江ノ電沿線新聞社
江戸歌舞伎の流れと江の島とのかかわり
江の島と弁天小僧

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弁財天信仰が歴史に現れたのは吾妻鏡の養和2年(1182)に始まる。この弁財天信仰は徳川幕府にも受け継がれていき、素朴な庶民の声を叶える神として崇敬され、やがて技芸・音楽上達の功徳をもたらす技芸神として、特に、歌舞伎の太夫元、役者をはじめとして、芸能に携わる玄人衆の厚い信仰の的となった。
江島神社中津宮の境内には、江戸三座のうち江戸藁屋町 市村座と江戸堺町 中村座の奉納した石灯籠各一対が残っている(前者は安永6年(1777)11月、後者は天明2年(1782)5月に奉献)がこの灯籠には歌舞伎隆昌と役者の技芸上達を願う座元の熱い思いが込められているのである。

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「青砥稿花紅彩画」のあらすじ、セリフ。