興陽社一葉碑について興陽社

樋口一葉が下谷龍泉寺町(大音寺前)から本郷丸山福山町に移ったのは、明治27年(1894年)5月1日であった。しかし、1年もすぎた頃からは胸を患ふ身となり、明治29年、24才の匂ほやかな処女のままあえなくも散ったのである。明治43年、その家は、裏側の西片町(阿部屋敷)の崖崩れにあって、跡形もとどめぬようになった。たまたま、昭和27年、同地の所有者であった笹田誠一氏が同番地の一角に私費を投じて碑を建てることとなり、それは昭和27年9月7日に竣工した。

写真:文京区円山福山町四番地の碑(旧)

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白山(一葉碑)崖下にあった一葉の住まい。