今回は、井波(富山県南砺市)の町並みを散歩します。八日町通りは、瑞泉寺の門前町井波を象徴する通りです。
正面奥に見えるのは、八乙女山方面。
瑞泉寺から伸びる石畳の通りの両脇には、「井波彫刻」の工房や飲食店が軒を連ねています。
瑞泉寺。
カテゴリー: 城下町·信仰の町
今回は、弘前(青森県弘前市)の町並みと風俗を散歩します。

駅前の観光案内所で配布されている「ひろさき懐かし地図(マップ)」。昭和10年の弘前の街へタイムスリップすることができます。

昭和10年に発行された「弘前市案内圖」の復刻版です。現存する商店などの建物が色分けされて示されています。

北横町にあった遊廓の妓楼名が記載されています。

参考文献
参考記事
今回は、八尾(富山県富山市八尾町)の町並みと風俗を散歩します。
富山からJR高山本線で約30分。越中八尾駅で下車して鏡町を目指します。かつての遊廓があった鏡町は、八尾町西町の商店街から「おたや階段」と名付けられた石段を下った場所にあります。

坂の下の遊廓街跡。

「おたや」の由来は、現在の島崎美容室から数軒の一帯が「御旅屋(おたや)」と呼ばれる宿泊所であったことによるものです。*1

「おたや階段」の手前には、「おたや地蔵」(1枚目の写真の左奥)があり、御旅屋があった場所には、詩人の野口雨情のおわらの歌詞の石碑があります。坂の下には、遊廓街(鏡町遊廓)があって、旅先での人恋しさに雨情もこの坂を下り、月あかりを背に「おたや地蔵」に手を合わせたとされます。*1
おたや地蔵さんこの坂下は 今宵なつかしオワラ月あかり

【参考文献】
*1 鏡町公民館建設委員会記念誌編集部会:鏡町のあゆみ(鏡町公民館建設委員会記念誌編集部会,2005)P.54
参考文献
参考記事
佐倉市街の成田街道沿いは、明治時代の古い町並みが保存されています。

明治時代の呉服屋の旧駿河屋。建物内部が公開されています。

「千葉県佐倉町鳥瞰」が展示されています。

弥勒新地付近。遊廓の若葉楼の名が確認できます。

参考文献
参考記事
今回は、一身田(いしんでん、三重県津市一身田町)の町並みと風俗を散歩します。
この町は、弥生時代から続く農業集落でしたが、15世紀に専修寺が建てられると、それを中心に町が発展し、16世紀には町の周囲に壕が作られ、宗教都市(一般に寺内町と呼ばれます。)の様相を呈するようになりました。壕で囲まれた町への入口は3つしかなく、橋のたもとには、それぞれ、「黒門」「赤門」「桜門」と 呼ばれる門があって、夜は閉じられて不審者の侵入を許しませんでした。壕の外には、橋向と呼ばれる遊廓地域も生まれました(案内看板より)。

3つあった門のうち、南東側にあった黒門の跡。

黒門跡にあった「橋向通」の案内看板。遊廓街があったことが説明されています。

黒門の南側が遊廓街があった橋向と呼ばれた地域でした。

参考文献
参考記事
今回は、大洗(茨城県東茨城郡)の町並みと風俗を散歩します。
元禄8年(1695年)、徳川光圀(水戸黄門)は、水戸城下である祝町に遊廓を設置しました。祝い町に隣接する那珂湊は、当時水戸藩35万石の要港として栄えていて、旅客や海の男達の娯楽に遊廓設置が必要と考えられました。光圀は、祝町が特にお気に入りで、願入寺の裏山に設けた「者楽亭」を「隠居の茶室」と名づけ、祝町遊廓を「隠居の郭(さと)」と愛称し、自らも「洗濯屋」と号してご満悦であったといいます。*1

現在、願入寺の北側にある「者楽亭跡の碑」は雑木林の中に埋もれてしまっていますが、祝町を気に入っていた黄門様の遺構の一つです。

願入寺裏の涸沼川と那珂川が合流する地点、崖の上からの眺めは、水戸八景の「巖船の夕照」と名づけられています。

崖下のあたりの「呼ばり塚」と称される場所(写真左側のあたりと思われます)には、光圀にまつわる伝説があります。それは或る夏の日のこと。光圀は願入寺を訪れた際、あまりに暑いので、近くの那珂川で水中にもぐったところ、水底には絢爛豪華な屋敷がありました。大きな門をたたくと中から美しい女が現れましたが、「ここはお前たちの来るところではない。」と言われたので、やむを得ず帰ろうとすると、大アワビが門に密着して門をあけることができない。供の者がアワビを退治すると今度は、巨大なワカメにがんじがらめにされました。再び供の者が太刀でワカメを切り払い、九死に一生を得て岸にあがることができました。大アワビは遊女をさし、ワカメは彼女らの執拗な誘惑と解釈され、足しげく遊廓に通う侍達への警告であったと考えられています。*1

【参考文献】
*1 山形雄三:祝町昔がたり(山形雄三,1981)P.41-P.49
参考文献
参考記事
今回は、柴又(東京都葛飾区)の町並みと風俗を散歩します。
駅前の広場には、「男はつらいよ」でおなじみの寅さんの銅像があります。

松竹映画「男はつらいよ」シリーズは、山田洋次原作・脚本・監督、渥美清主演で1969年に第1作が公開され、以後1995年までの26年間に全48作品が公開された国民的人気シリーズです。*1
「わたくし、うまれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎。人よんで、フーテンの寅と発します。」という、おなじみの寅さんの口上が思い出されます。
(余談になりますが、わたくし風俗散歩は、姓は風俗、名は散歩。人よんで、フーさんと発します)

銅像の台座には、「寅さんは損ばかりしながら生きている。江戸っ子とはそういうものだと、別に後悔もしていない。(中略)ごめんよさくら、いつかはきっと偉い、兄貴になるからなー。車寅次郎はそう心に念じつつ、故郷柴又の町をふりかえるのである」と山田洋次郎監督の言葉が書かれています。

帝釈天参道の入口は、駅からすぐです。

【参考URL】
*1 松竹株式会社:男はつらいよ 松竹公式サイト「男はつらいよ」とは
参考文献
参考記事
今回は、福原(兵庫県神戸市兵庫区)の町並みと風俗を散歩します。
祇園神社の南面一帯の平野付近は、約800年前、平清盛が幻の都といわれる「福原京」を置いた場所です。*1

清盛の山荘である「雪見御所」があった場所には、「雪見御所之碑」が建っています。

福原は、半年間だけ日本の首都となりました。

荒田八幡神社裏に、「福原遷都八百年記念之碑」があります。
明治元年に開設が許可された「福原遊廓」は、平清盛の福原遷都にちなんで命名されました。その後、福原は、東京の吉原、京都の島原とともに、「さんぱら」並び称されるようになりました。*2

【参考文献】
*1 金治勉:神戸まち歩き(神戸新聞総合出版センター,2004)P.70-P.72
*2 加藤政洋:花街(朝日新聞社,2005)P.200-P.201