今回は、茂原(千葉県茂原市)の町並みを散歩します。
茂原の榎町商店街と駅前通り商店街は1970年代か ら1980年代に最盛期を迎えました。*1

現在も当時からの商店が建ち並んでいます。

商店街は500mほど続きます。東側の通りにも看板建築が残っています。

住居部分と一体となったお菓子屋さん。

しょうてんがい
今回は、茂原(千葉県茂原市)の町並みを散歩します。
茂原の榎町商店街と駅前通り商店街は1970年代か ら1980年代に最盛期を迎えました。*1
現在も当時からの商店が建ち並んでいます。
商店街は500mほど続きます。東側の通りにも看板建築が残っています。
住居部分と一体となったお菓子屋さん。
浅草橋の北側。鳥越1丁目のおかず横丁。
看板建築の商店の建物など、昔の商店街の雰囲気が残っています。
銅板が貼れた重厚な感じの看板建築。
裏側からの眺め。
今回は、川崎南町(神奈川県川崎市川崎区)の町並みを散歩します。
チネチッタの東側にある商店街の名画通り。飲食店が建ち並ぶまっすぐな小路があります。
「名画通り商店会」の看板。
和風の飲食店。
まっすぐに伸びる側溝。
今回は、日立(茨城県日立市)の町並みを散歩します。
日立駅の南側の海岸沿い(写真奥)は、かつては行楽地で、旅館や料亭が建ち並ぶ賑わいのある町並みでした。
改札口を出たところに、昔の日立の写真が展示されています。
昭和14年の助川新道通り(現在の日立銀座通り)の様子。
日立鉱山で使用する機械の修理製造部門から日立製作所が誕生し、その後の日立市の発展を支えました。
数年前まで、この付近にあった銅座市場は、現在は解体され、市場の下の動座川が見える景観になっています。
川の両脇の建物は残されたままです。
銅座川。
逆方向から。
坂下1丁目交差点の北東にある「坂下マーケット」。看板に書かれている通り、かつては、精肉、鮮魚、青果、食料品、酒類、蒲鉾、菓子類の店が並ぶマーケットだったようです。現在は、入口付近の精肉店とリサイクルショップが営業中です。
マーケットの中央の通路。
かつての鮮魚店の名残。
反対方向(北東側)の入口。マーケットはL字型になっています。
都営三田線の志村坂上駅で下車。城山通りを100mほど進んだところにある1階に立喰いそば屋のビル。
立喰いそば屋脇に、通称「トンネルマーケット」と呼ばれる商店街があります。
ビルの1階の商店街は、さらに奥のビルへと続いています。
いつくかの連なったビルの1階が長い商店街になっています。
成増駅南口駅前のすずらん通り。古くからある商店街です。
すずらん通りにある成増マーケット
昭和な空間が残っています。
飲食店が営業中です。
仲町商店街の入口のすぐ左隣りにある「仲見世飲食街」
スナックもあるようです。
飲食街の奥の洗い場。
反対側の入口。商店街とつながっています。
町田名物の仲見世商店街。
「西のアメ横」と呼ばれています。
生鮮品も充実しています。
反対側の出口。
船橋市本町四丁目にある仲通り商店会。東側の入口に立派なゲートがあります。
少し行くと、Y字路があって、商店街は二股に分かれています。
Y字路の北側の通り。人気の大衆酒場があります。
南側の通り。
上野、アメ横の中心部のY字路に建つ「アメ横センタービル」。
当時の国鉄が東北、上越の新幹線実施計画に伴って、変電所が移転となり、その空き場所に建設されたものです。*1
地下1階は、アジア各国の食材が並ぶ食品街になっています。
中国語が飛び交う、まるで異国のような場所です。
魚の名前は解りませんが、大きな鯛のような魚が1匹600円で売られていました。
王子駅北東側の豊島1丁目は、かつて花街があった場所で、周辺には、いなり通り商店街があります。
もつ焼き、やきとり、の店。
反対側。古い旅館があった場所(写真奥)※1 はには真新しいオフィスビルが建っています。
隣に残るスナック店がはいる共同ビル。
かつての花街だった大塚三業通りの入口。大塚駅南口から見えるバッティングセンター脇に「大塚三業通り」の看板が取り付けられています。以前は、白地に赤文字のシンプルな看板※1 でしたが、最近、ピンク色を基調としたものにリニューアルされました。
看板の上部には、芸者さんのモニュメント。
以前の看板と比べ、華やかなものになりました。
「三業」の電柱標識板。「花町」というプレートも取り付けられています。
西仲通り商店街(もんじゃストリート*2)は、日露戦争後の人口に伴い、自然発生的にできたもので、道の真ん中に露店が出ていたのが特徴でした。*1
西仲通り商店街には、2階部分に昔ながらの屋号が残っている「看板建築」商店が残っています。*2※1
一歩路地に入ると、昔ながらの生活空間の雰囲気が残っています。
渡り廊下のある路地。
最近は、開発が進み、周辺は高層マンションが林立しています。
築地場外市場。豊洲移転後も賑わっています。
古い建物が建ち並びます。
築地場外市場の中にある円正寺。寺院の建物と市場の建物がつながっているように見えます。
最近、火災で焼失した付近。マンサード屋根を持つ3階建ての建物です。
江東区亀戸7丁目にある亀七通り。インパクトのある大看板。
看板の派手さに比べると、通りは殺風景です。
飲食店の他、商店が建ち並びます。
反対側(国道14号線沿い)のゲート。
天王町駅前から旧東海道を北へ進み、国道16号を渡ると横浜洪福寺松原商店街の入口です。
商店街は、歩行者天国になっています。
生鮮品のマーケットが建ち並びます。
朝獲れの鮮魚。
【参考URL】*1 横浜洪福寺松原商店街:公式
国道16号線沿い、バス停「浜」の近くに、浜マーケットがあります。 浜マーケットは、戦後の闇市が発展してできました。 戦後まもなくの昭和20年(1945年)の暮れ頃、戦時中に戦車が通れるように作ってそのまま空地になっていた 「疎開道路」の一部分に、10軒ほど店が並んだのが、浜マーケットの始まりでした。*1
食料品や日用品の店が並んでいます。
闇市の頃の雰囲気が残っています。
反対側の出口。
磯子の八幡橋から横須賀街道を北上した横浜市電保存館の近くに丸山市場があります。
小規模な市場ですが、昭和の雰囲気が色濃く残ります。
歌手の美空ひばりさんの生家は、この付近にありました。*1
東側の入口。
【参考文献】
葛城峻:やぶにらみ磯子郷土誌(2014,磯子区郷土研究ネットワーク)P.220
長者町繊維街は、丸の内から錦までを南北に貫く長い通りです。大きな看板が連なります。
主人が先頭に立って働く”現金取引”、”薄利多売”の商法は、長者町を日本有数の問屋街へと発展させる原動力となり、大正末期から昭和にかけての繊維卸問屋街時代を迎えました。*1
現在も繊維問屋が建ち並びます。
洋服の専門問屋。
【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.126-P.127
今回は、荒木町(東京都新宿区)の町並みと風俗を散歩します。
車力門通りは、江戸時代、松平摂津守屋敷の裏門に通じる通路で、物資が荷車で運び込まれていたことから、名付けられました。明治になって荒木町三業地の入口になり、賑わった通りで、今でも飲食街になっています。*1
車力門通りは、新宿通り(下記地図の右側)から荒木公園(金丸稲荷神社付近)を経て、外苑東通り(地図の左側)へつながっています。
車力門通りの飲食街。
荒木町の中心部の荒木公園付近。
【参考文献】
*1 安本直弘:四谷散歩(みくに書房,1989)P.57-P.58
今回は、藤岡(群馬県藤岡市)の町並みと風俗を散歩します。
JR高崎駅から、八高線に乗って、3駅(約15分)で群馬藤岡駅に着きます。駅の南西方向が中心街で、仲町の通りには、割烹料理屋が建ち並ぶ一画があります。
割烹「花月」。
向かい側にも料理屋らしき建物が建ち並んでいます。
逆方向から見たところ。
相模原の中心商業地として発展してきました西門商店街。日用品の店舗が軒を連ねます。
普段着中心の品揃えの洋品店。
胸元が大きく開いたタンクトップが陳列されています。
はみ乳を連想させるディスレイです。
今回は、武蔵小杉(神奈川県川崎市中原区)の町並みと風俗を散歩します。
開発が進む武蔵小杉は、昭和の雰囲気が残る飲み屋小路です。
その中でも人目を引くのが、この「超ミニスカスッチー」の看板です。
「コパンビル」と書かれた階段が、「超ミニスカスッチー」の店の入口です。
コパンビルの3階には、バドガールの看板。
今回は、巣鴨(東京都豊島区)の町並みと風俗を散歩します。
巣鴨地蔵通り商店街は、昔ながらのもてなしの心を大切にした商店街として愛され続けています。
巣鴨でかつて一大ブームとなった、赤パンツの店。
巣鴨名物「お地蔵様の赤パン」。
さまざまなタイプの赤い下着が販売されています。
ハモニカ横丁は、右から「仲見世通り商店街」「中央通り商店街」「朝日通り商店街」と続き、最後に通りのサインのない「祥和会」と続きます。ただし、この「祥和会」の一部は、かつては小さな飲み屋が連なっていた横丁だったことから、「のれん小路」と称して、今のそのサインは残されたままです。*1
「のれん小路」の飲み屋連店は、新宿東口の和田組マーケットの建て方を参考にしているように見受けられます。間口一間、奥行1.5間の簡易なバラックは、L字型のカウンターの中におかみさんやご主人が一人入り、客は4~5人程度が座るサイズでした。*1
飲み屋が連なっていた頃の雰囲気が残っています。
「のれん小路」 と中央の通りが交差するあたり。
【参考文献】
*1 桑原才介:吉祥寺横丁の逆襲(言視舎,2011)P.35-P.36
吉祥寺駅前のハモニカ横丁は、終戦直後の闇市の姿がそのまま残っている横丁です。
漬物屋の清水屋がある通り。
鮮魚店もあります。
ハモニカ横丁の周囲を高いビルが取り囲んでいます。
JR日暮里駅前の放射11号線から三河島通り(尾竹橋通り)に交差する付近までの日暮里中央通りの両側は、日暮里繊維問屋街と呼ばれ、ここは、大正から昭和初期にかけて「東の日暮里、西の吹田」と呼ばれた繊維ウエイスト工業の中心地でした。繊維ウエイスト工業というのは、古繊維、つまりボロ繊維を専門に集めて加工し再製品化するリサイクル業のことで、再生工場はそのまま問屋としての機能を持っていました。最近のヤングたちの古着志向はリサイクルへの希望と言えます。*1
さらに、近年のコスプレ人気により、コスプレ用素材を専門に扱う店も現れ、秋葉原から近いこともあり、活況を呈しています。下の写真は、ステージ衣装やよさこい衣装などを専門に扱う「奥山」さんです。
日暮里駅前の店。
日暮里繊維問屋街は学生やミセスが足しげく通う町です。
ダンス用衣装専門の店もあり、艶めかしい雰囲気が漂います(西日暮里にて)。
【参考文献】
*1 婦人画報社:のぞいてみたい東京の六大問屋街(婦人画報社,1998)P.25-P.34
花岡遊廓跡地の東側に位置する末広町は、歓楽街となっています。
歓楽街は、「二番街」と呼ばれています。
スナックや居酒屋が点在しています。
バーの建物。
東武浅草駅前に、地下街への入口があります。
昭和の匂いの残る地下街。居酒屋や占いの店などが並んでいます。
700円の理髪店。
アダルトビデオもあります。
思案橋横丁の西端。銅座川が交差します。
銅座川の上に建つ銅座市場。隣には案内所の大看板。
銅座市場の看板。
本日は定休日でした。通り抜けられません。
今回は、戸部(横浜市中区)の町並みと風俗を散歩します。
戸部4丁目交差点から西へ延びる通りは、岩亀(がんき)横丁と呼ばれています。
通りには、「岩亀横丁」と書かれた看板が並び、「岩亀寿司本店」という名の店もあります。
サウナがんき。
「岩亀横丁」の名前の由来は、この「岩亀稲荷」の存在と関係があります。
今回は、南千住(東京都荒川区)の町並みと風俗を散歩します。
都電荒川線の終点の三ノ輪駅と国道6号線にの間に立つ梅沢写真館(旧王電ビル)に三ノ輪橋商店街(ジョイフル三ノ輪)の入口があります*1
建物の1階部分をトンネル状にくりぬくようにして商店街が続いています。
アーケードの入口。
ジョイフル三ノ輪は、荒川区随一の大商店街で。そのアーケードは、総長465mで、約130軒の商店がひしめきます。*1
【参考文献】
*1 交通新聞社:散歩の達人(2204.2)P.10-P.11
樋口一葉の住まいがあった白山通りを横切ると、柳町仲通り商店街に入ります。
一葉の住まいからこのあたりまでの一帯は、銘酒屋と称する私娼宿が並ぶ色町でした。一葉の「にごりえ」は、この銘酒屋を舞台とした小説で、「空壜(あきびん)か何か知らず、銘酒あまた棚の上にならべて・・・」と銘酒屋のことが描写されています。1
銘酒屋とは、酒を並べてはいるものの店の奥や2階で娼婦たちが客を遊ばせ、春をひさぐ場所。そんな女たちが一葉に手紙の代筆を頼みにくるようになりました。2
一葉日記「しのぶぐさに、次のような一節があります。*1
「となりに酒うる家あり 女子あまた居て客のとぎ(伽)をする事うたひめのごとく遊びめに似たり つねに文かきて給われとて わがもとに来る」
昔、デパートの屋上遊園地などにあった乗り物が何台も並んでいて、楽しそうな商店街です。
商店街の周囲は開発が進んで、高層マンションが間近にせまっています。
【参考文献】
*1 槐一男:一葉の面影を歩く(大月書店,1995)P.84-P.89
*2 野口碩:樋口一葉と歩く明治・東京(小学館,2004)P.55
今回は仙台(宮城県仙台市)の町並みと風俗を散歩します。
仙台市街の中心に、壱弐参(いろは)横丁があります。
壱弐参横丁の原形は、太平洋戦争の終戦直後、路上に現れたバラック商店や露天の集合体、すなわち、戦後の闇市です。平行する2本の路地を中心に、細い路地が入り組んで迷路状に広がって、狭い店がびっしりと並んでいます。*1*2
壱弐参横丁は、昭和21年、戦後の仙台市の公設中央市場として誕生したマーケットが原形です。*1
近年は、壱弐参横丁を活性化する動きがあって、案内図などが整備されています。案内図の隣に、「中央市場」と書かれた当時のものと思われる看板があります。
増改築をくり返した結果、約40棟の戸建ての店舗や長屋の集合体となりました。トタン屋根に混沌の歴史がにじんでいます。*1
【参考文献】
*1 藤木TDC:昭和幻景(ミリオン出版,2009)P.128-P.131
【参考URL】
*2 NPO法人まちづくりcom:ふれあい百店街・壱弐参(いろは)横丁
散歩雑誌等で紹介されている牛乳店と貸本屋の建物。
雪印牛乳の看板はほとんど判読できない状況です。
谷中の現役の牛乳店。
ホモちゃんマークに出会うことができました。
今回は、赤羽(東京都北区)の町並みを風俗を散歩します。
JR赤羽駅近くには、たくさんの路地や横丁があります。そのうちの一つ。明店街。
商店が並ぶ路地。
「ミルクホール」の看板のあるお店。牛乳屋さんではなさそうです。
「通りぬけ」の看板。
今回は、真金町・永楽町(神奈川県横浜市)の町並みと風俗を散歩します。
京浜急行の黄金町から5分ほどのところに横浜橋商店街があります。
商店街の中ほどで、鮮魚店や精肉店が並ぶ路地が交差します。
路地の中に入っていきます。短いですが幅が狭く、昭和の時代を感じる路地です。
路地を抜け、逆方向から見ると、「横浜橋市場」と書かれた看板があります。なぜか鉄腕アトムが描かれています。
隣では、一杯飲み屋が営業中です。
今回は、東向島(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
東武伊勢崎線東向島駅で下車し、北へ3分ほど歩くと、いろは通りの入口のアーケードがあります。
「玉の井いろは通り」と書かれています。赤線時代の玉の井という地名が残されています。
いろは通りの商店街。
最近見かけなくなったゼブラ板(丸型)付きの信号機があります。縦に取り付けられているのは珍しいと思います。
今回は、大宮の町並みと風俗を散歩します。大宮駅東口を出て、真っ直ぐ北へ向かい、大栄橋の下を通り抜けると、北銀座平和通り商店街のアーケードがあります。
大栄橋の下に特殊浴場協会の事務所があります。
商店街といっても商店はあまり多くありません。
しばらく行くとソープランドの看板が見えてきます。
水戸街道の東向島一丁目交差点。ピンク色のアーチがあるところが「鳩の街商店街」の入り口です。
賑わいのある商店街。
2階に物干し台のある商店(写真右)。
木造和風の佇まいの化粧品店。
今回は、千住柳町を目指して散歩します。北千住駅から日光街道へ出て北上し、左へ曲がると大門商店街のアーケードに着きます。
お買い物の散歩道。
商店街の脇の路地。
モダンなデザインの建物。
国際通りを横切るとせんわ通りに入ります。ここからは柳並木が現れます。
交差点を左に曲がると吉原の一角にさしかかってきます。
花園公園のあたり。道がS字型にカーブしています。このあたりは水道尻(すいどじり)と呼ばれているそうです。
水道尻を抜けると吉原のソープ街まで一直線です。
今回は、入谷~吉原の町並みと風俗を散歩します。地下鉄日比谷線の入谷駅を出ると、まず目につくのが大手家具小売のハヤミズ家具センターのビルです。不況の影響受けて経営破綻しましたが、店舗兼本社ビルは、そのままです。
入谷から金美館通りを経由して吉原へ向かいます。吉原へ歩いて行く道としてはもっともオーソドックスな道順です。昔、金美館という名前の映画館があった(写真の東京菓子会館のあたり)ことが、金美館通りの名前の由来だそうです。なんとなく妖しい響きのする名前です。
金美館通りの歩道を歩くと、「これから吉原へ行くんだ」という気分になってきます。
「第一食品」や「入谷市場」という名前のスーパーがあるあたりは下町風情が残っています。