浅草(浅草ニュートルコ跡地)

今回は、浅草(東京都台東区)の町並みを散歩します。
花街があった浅草三丁目の東側のはずれ。このあたりまでくると、店舗はまばらになります。

昭和26年の火災保険地図*1 によると、この場所に「浅草ニュートルコ」の記載があります。
トルコ風呂と言えば、昭和26年に銀座に開業した「東京温泉」が第1号というのが、定説となっています。※1
これと、時を同じくして、浅草にも開業していたようです。

隣の歯科医院は、当時も同じ場所にありました。*1

現在は、マンションが建っています。

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社交場 浅草

参考文献

*1佐藤洋一: あの日の浅草 (武揚堂,2007)昭和26年から30年代の思い出と出会う : 地図と写真でたどる (地図物語)

現在の浅草3丁目30−5に「浅草ニュートルコ」の記載。

参考記事

五反田(松の湯)木の桶

西五反田の住宅街。写真の左手は小学校の運動場です。

見事な破風の屋根の外観。大型の建物です。内部は天井が高く開放感があります。風呂桶が木製であることも魅力の一つです。


昔ながらの銭湯です。


短く太い煙突。

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銭湯 西五反田

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五反田

五反田(老舗洋食店)駅前の路地

五反田駅前のL字型の路地。※1
昭和25年創業の老舗洋食レストランです。*1

飲食店が建ち並ぶ路地に建つ蔦の絡まる建物。

建物の1階部分はレンガ造り。

ハヤシライスを注文。デミグラスソースの有名店だけあって、味は絶品です。

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食文化 東五反田

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五反田

参考文献

*1グリルエフ: グリルエフ ホームページ (グリルエフ,) リンク

昭和25年、先代が五反田のこの地にフランス料理店として創業。 以来半世紀以上続く、老舗洋食レストラン。 漆黒の […]

参考記事

五反田(壱番街)歓楽街の中心

五反田の歓楽街「遊楽街」の中で、唯一、通りの名が付けられている「一番街」。

1951年の住宅地図を見ると、飲食店や風俗店が道の両脇に連ねっており、この頃から歓楽街の中心街だったようです。

現在も飲食店が建ち並び、昼間の時間帯から人通りの多い通りです。

通りの北側の風俗店。

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飲食街·横丁 東五反田

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五反田

五反田(元キャバレーと思われる建物)有楽街

五反駅東口の遊楽街は、昭和の初期から続く歓楽街です。

ビル化が進む歓楽街の中に、昭和の頃と思われる建物が残っています。
1951年の住宅地図*1 には、「グランドパレス」という屋号が記されています。

入口の部分は、現在は自販機コーナーになっています。

当時の豪華さが感じられる2階部分の意匠。

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飲食店舗 東五反田

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五反田

参考文献

現在の西五反田2丁目 ・待合の、旅館の屋号 現在の東五反田1丁目15の一画。 ・「おかるのみや」、喫茶「ウルワ […]

五反田(海喜館)事件で報道された旅館

最近、事件で報道された「海喜館」。
五反田三業の面影を唯一残す旅館の建物です。10年前は、入口も開放されていて、「海喜館」の看板もありました※1 が、現在、入口は閉鎖され、看板も取り外されました。

建物は、老朽化が進んでいます。


建物の周囲は、シートで囲われています。

目黒川の対岸から。

五反田(花街跡地)待合があった通り

五反田花柳界は、三業組合と呼ばれていたた当時までは、盛んであったが、戦後は売春防止法の制定によって、「待合い」に於ける売春の取り締まりと共に、「待合い制度」が廃止され、二業組合に衰退の一途をたどりました。*1

待合が密集していた通り。

現在は、マンションが建ち並ぶ町並みとなっており、花街の名残はありません。

一本南側の通り。この通りにも両側に待合が建ち並んでいました。

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未分類 西五反田

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五反田

参考文献

*1岩田彦之丞: 西五反田一二三町会町会会館三島稲荷神社小史 (岩田彦之丞,1982)

P.11 五反田花柳界も三業組合と呼んでいた当時までは、何かと盛んな頃もあったが、戦後次第に衰退の一途を辿った […]

現在の西五反田2丁目 ・待合の、旅館の屋号 現在の東五反田1丁目15の一画。 ・「おかるのみや」、喫茶「ウルワ […]

北千住(遊女の供養塔)金蔵寺

駅西口のすぐ近くには、千住の投げ込み寺と呼ばれる金蔵寺があります。

金蔵寺の創建は建武2年(1335年)です(案内板より)。

金蔵寺の門を入ると左側に2メートルほどの無縁塔があります。これは天保の飢饉の犠牲者のためのもの。その塔と並んで建つ「南無阿弥陀仏」と正面に記された供養塔は、千住宿の遊女の供養塔です。(案内板より)

遊女供養墓の台石の四方には遊女の戒名がぎっしり記されています。*1

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墓・供養塔 千住

参考文献

*1渡辺憲司: 国文学 : 解釈と鑑賞 70(8) (至文堂,2005.8)江戸遊里残滓行--泪橋から泪橋へ

P.202 駅西口のすぐ近くには、千住の投げ込み寺と呼ばれる金蔵寺がある。本尊は閻魔大王。境内左手に地蔵を挟ん […]

北千住(千住本氷川神社)狛犬のエロス

足立区千住3丁目千住本氷川神社。

狛犬

吽像の方には、男根とこう丸と思われる盛り上がり見られます。

阿像の方に同様の隆起はありまあせん。

北千住(芸者新道)見番跡地

千住宿の史跡、市郎兵衛本陣跡近く。

本陣跡の近くに、千住見番がありました。
見番の玄関には「千住芸妓組合千住支部」「全国芸妓組合千住支部」といった看板が掲げられていました。*1

明治時代、千住芸妓組合が成立し、その事務所(見番)がこの地に置かれ、花街が千住柳町に移転した大正8年以降も昭和18まで営業していました。この通りを見番横丁といっていました(説明文)。

見番があったあたり。

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花街·花街跡 千住

参考文献

*1佐々木勝: 日光街道千住宿民俗誌 (名著出版,1985) 宿場町の近代生活

P.210 見番横丁 見番は、佃屋という屋号で、石坂家が昭和18年まで代々やっていた。玄関には「千住芸妓組合千 […]

北千住(遊廓跡地の電柱標識)くるわ

かつて千住遊廓があった千住柳町。写真の通りの両脇が遊廓地でした。*1
現在は遊廓時代の面影はありません。

唯一の名残とも言える電柱標識。「廓支」と書かれています。

さて、問題の電柱標識はここからです。古いタイプの標識を見ると「廊支」。これまで幾度となく見てきた※1 廊下の「廊」です。正しい「廓」の表記は、上の写真の1本のみで、他の電柱のほとんどがこの「廊」でした。

1本だけあった、いらがなの「くるわ支」。平仮名表記の廓(くるわ)は、初めて見る事例です。

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電柱 千住柳町

参考文献

*1五十嵐典彦: 足立史談 第50号 (足立区教育委員会,1972)「千住柳町」調査報告書(二)

千住遊廓の建物配置図 ・大正8年新開地当時 ・大正12年震災直後

参考記事

北千住(老舗大衆寿司店)創業60年

今回は、北千住(東京都足立区)の町並みを散歩します。
千住大門商店街は、昔ながらの風情の残る商店街です。

古びた寿司店があります。

ランチは、11:30からラストまで。海鮮丼は600円です。

海鮮丼とビールを注文。味は絶品でした。

目黒(比翼塚)目黒不動尊前

目黒不動尊前にある比翼塚。

江戸情緒「目黒比翼塚」と書かれた看板。

比翼塚は、白井権八と遊女小柴の来世での幸せを祈りたてられたものです。

とんかつ八千代※1 の名が刻まれています。

目黒(花街跡地)

目黒不動の門前には、関東大震災直後、隣接町村の目覚ましい発展に伴い、花街ができました。主な料理屋は、「角伊勢」と「大国家」で、その他は、待合形式の家がありました。*1
現在の商店街に見番がありました。*2

見番脇の路地を下ったところ。「ちとせ」「一力」がありました。*1

大国家があったあたり。*2

目黒園があったあたり。*2

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花街·花街跡 下目黒

参考文献

*1松川二郎: 三都花街めぐり (誠文堂,1932)

目黒不動の門前一円の地域がすなわち目黒の花街で、芸妓屋三十五軒、料理屋が四十軒。いかに竹の子に縁のある土地だか […]

*2都市整図社: 目黒区 下(火災保険特殊地図旧35区 No.33-2) (都市整図社,1935)

目黒不動尊周辺に、見番と料亭らしき屋号「大国家」「角伊勢」「目黒園」「ちとせ」「松田家」「一力」の記載

目黒(とんかつ店)狭小ビルの1階

今回は、目黒(東京都目黒区)の町並みを散歩します。
目黒不動尊へと向かうゆるやかな坂道の途中。狭小の商業ビルが建っています。

老舗の「とんかつ八千代」。

風情のある落ち着いた店内。

かつ丼を頂きました。

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食文化 下目黒

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