神田川から通りを一本入ったところに、篠塚稲荷神社があります。
正面の石柱。東京柳橋組合の名前があります。
側面の玉垣。両国花火組合、料亭の「いな垣」、「田中屋」の名前が刻まれています。
両国花火は江戸の年中行事になり、主催者である柳橋の名前は全国に知れわたりました。両国花火は、柳橋の広告塔のようなものでした。*1
【参考文献】
*1 牧太郎:東京人(2000.6)「柳橋」江戸からの芸者町の灯が消えた (特集 芸者さんに会いたい 新橋、赤坂、芳町、神楽坂、浅草、東都五花街探訪) P.72-P.73