今回は、美濃(岐阜県美濃市)の町並みを散歩します。
大正年代から昭和初期にかけては、美濃町花街が最も盛んな時で料亭も多く芸妓数も30余名を数えるほどでした。当時、新民謡(昔からの民謡に対し各地で新しい民謡をつくること)が流行し、美濃町も料芸組合によって、美濃町音頭と美濃町ナントショ(小唄)がつくられました。*1
芸妓置屋「文の家」があったあたり。*2
芸妓置屋「喜久乃家」があったあたり。*2
昭和5年の市街図*2 に、料理屋と思われる、「古金家」「山口家」「玉本屋」「八幡屋」の記載のある通り。「八幡屋」は、同じ屋号で営業している料亭が別の場所にあります。
美濃(美濃町花街)新民謡が流行
参考文献
*1
市原三三ふるさと美濃市明治大正よもやま話市原三三1981
P.149-P.152
大正年代から昭和初期にかけては、美濃町花街が最も盛んだった時代で、料亭も多くあり、芸妓…
*2
東京交通社大日本職業別明細図.第200號.岐阜縣東京交通社1927
美濃町1930
・芸妓置屋 文の家、芸妓置屋 喜久乃家 の記載
・料理屋と思われる、古金家、山口家、玉本屋、八幡屋 の…
「美濃(美濃町花街)新民謡が流行」への2件の返信
懐かしい思い出のふるさとを拝見ありがとう。「八幡屋」は小生が結婚披露宴をした料亭です。50年前を彷彿させていただきました。
ふるさとを離れて60年、今も同窓会では、校歌と唱歌「ふるさと」を輪になって歌います。
山口さん
「八幡屋」は思い出深い料亭だったのですね。
美濃町は、風情のある美しい町並みであったこと、私の思い出に残っています。